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「良心」を守ったおかげで得られたもの

 ときどき優しいコメントを下される方(「元戦友」と表現して意味が通じるのは,このぶろぐ村に長く生きている方だけでしょうが)の記事に対して,どういうかたちでお答えしようか考えていたら,かなり時間がたってしまいました。

 理想だけ語っていればすむ人間とは違って,社会に出ると,「一人も見捨てない」なんてことはできなくなります。

 文科省の仕事を切ることは簡単なことです。

 これから先も,声をかけないでくれれば,土日が有効に使えるようになります。

 代わりに活躍のチャンスをもらえる人が出たのはよいことでしょう。

 「犬クソ教師」と呼んでもらえる栄光や,

 官邸のご機嫌とりをいじめる楽しさはなくなってしまいますが・・・。

 上の言いなりになっている人たちをいじめる「良心の呵責」はありました。

 実は,文科省からの「離脱」が明確にできた背景には,もう一つの「大きな選択」がありました。

 今の学校からある場所へと「離脱」しなかったという選択です。

 この選択による「良心」の痛みは非常に大きいものでしたが,同時に,

 守られた「良心」の価値もはかりきれないものでした。

 私が「蹴った」かたちになってしまった場所の名前を聞いたら,多くの人が驚くでしょう。

 私が勤め先を変えることで,受け入れ側は,長年抱いていた構想に着手することができる。

 私を送り出す側は,日々訪れる課題,やがて訪れる大きな課題への対応が苦しくなる。

 選択肢は,Aを切ってBを守るか,Bを切ってAを守るかしかない。

 どちらにしても,私がする仕事は似たようなものですが,

 勤め先を変えることで,教育の世界に面白い現象が起こったかもしれないと想像すると,もったいない気もしますが,たぶんその勤め先に迷惑がかからないように,本物の「犬クソ教師」になっていたかもしれません。

 「離脱」しなかったことで,この「潜伏生活」もさらに長く続くことが予想されますが,ここに来て,「新しい異物」が一斉に芽吹きだしている危機感を強く感じています。

 その異物に共通した特徴は,傲慢で,自意識過剰で,知性が感じられないというものですが,そのイメージは,『進撃の巨人』と重なります。

 壁を一生懸命壊しにかかっている人たちは,弱い人間をどれだけ食べていけば気がすむのか。

 私たちが壊さなければならない壁は,別のところにあるのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より