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「倫理」「モラル」軽視の「商売重視志向(嗜好?)」が教育の世界にも定着している

 原子力発電の割合を20%程度まで引き上げたい政府に対し,「倫理」を盾にして反対している人たちの説得力は,今ひとつパワーに欠けている印象がある。

 神社の御朱印帳がネットオークションで転売されたことに対して,神社側が怒っている,というニュースを目にすることができた。

 「商売の倫理」という言葉があるのかどうか知らないが,「自由な取引」と「モラル」の価値を対比させて考えさせることができるよい題材(題材にすること自体は,神様にも許してもらえると思うが・・・)である。

 中学生からは,「足が不自由で神社に参拝できない人にとって,ネットで入手できる仕組みは必要だ」という声が聞こえてきそうである。

 神社参拝に対して個人が抱く「ありがたみ」の違いは,大人と子どもを比べても,あるいは子どもだけでも受験の前とそうでない時期を比べても,個人差がとても大きいだろうが,「ありがたみ」を感じる人が少なくなればなるほど,「自由な取引」の方が大切な価値として認識されやすくなりそうである。

 教育の世界でも,「なんでこんな程度の研究会に3000円とか4000円とか払う必要があるのか」と憤慨したくなる中学校,高校の教員がいる一方,大学や小学校の教員はむしろ「こんなに安いお金でいい話が聞けるんだからありがたく思え」なんていう態度でふんぞり返っている。

 大学のセンセイを講師に呼んだ場合,安くても2万円くらいはかかり,人によっては5万円くれないと行かない,などと公言しているのもいて,そういう人間の財布を潤すために主催者は金額を決めなければならなくなっているのである。

 お金を出したくない人は行かなければよいわけだから,「自由な取引」はいつでもどこでも成立する。

 「商売の倫理」が「教育の倫理」に勝つ時代に即した「教育方法」を熱心に広めてようとしている人がいるのも,致し方ないことなのだろうか。

 「こんな教育を続けていたら,お前の教え子達の大部分は将来,仕事につけないぞ」という脅迫を受けるために,どうして大切なお金と時間を手放していくのか,私には全く理解できないのだが。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より