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世間の狭さを感じた浦島太郎

 私より1年早く指導主事になって,昨年度まである区の教育委員会の指導室長だった方が,私の姪っ子が通っている中学校の校長として着任されていたことを知りました。

 私の娘が進学する可能性もあるので,来週の学校公開の期間に訪問してご挨拶しようと思っています。

 同じ区の初任者研修で一緒だった先生が赴任していることも知りました。

 懐かしい方々にお会いするのが楽しみです。

 人事のことに関心が向いたので,久しぶりに元同僚の動向を調べてみようとしたら,

 何と,私と一緒にある中学校に着任した,当時初任者だった若い先生が,校長試験に合格していることを知りました。おめでとうございます。ずいぶんといけないことをしでかした話は,墓場までもっていってあげましょう。

 おまけに,私が指導主事時代に「指導講評の練習台」にさせられていた,当時やはり採用2年目くらいの方も,校長試験に合格しているようです。

 二人とも現役の指導主事で,任用されるまで時間がかかるかもしれませんが,早い時期に任用されたら,若い校長先生として注目が集まるはずです。

 気がついたら,すごいことになっていることに当惑している浦島太郎でした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より