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「お前なんかは同志じゃない」

 大学のサークルのようなノリの研究会に,現場の教師が参加するのはとてもいいことだと思います。

 人間の承認欲求を簡単に満たしてくれるのは,やはり多くても十数人程度の寄合でしょうから。

 私はこういう研究会の人たちに,ぜひとも他の研究会の「道場荒らし」をしてほしいと思っています。

 小学校の学級王国連合みたいな趣味のサークルものがただ数だけ増えていっても,全国の教育の水準は決して向上しないからです。

 「道場荒らし」を負かせることができて,初めて,研究会の存在意義が出てくるわけで,

 「お前は考え方が違う人間だ」

 「お前は仲間じゃない」

 などと思考停止してしまっては,外部から見れば「だから趣味集団ではダメなんだよ」で終わってしまいます。

 サークル内で慰めて合っているだけでは,子どもたちは救えません。

 学校の教師として「一人も見捨てない」と豪語するからには,自分の教室だけではダメで,

 その学校の子どもたち全員,いやいや,すべての子どもたちに目が向けられていないといけないのです。

 「信念」や「方法」はいくらでも語れるのに,「内容」が語れない人間が増えてきています。

 行政にいた私の感覚だと,現場の教師というより,事務方が増えてきている印象です。

 教師の現場感覚から最も遠い位置にいるのは,事務方でもなく,大学のセンセイかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より