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すでに「深い学び」への関心が高まっている

 「主体的・協働的な学び」に関する実践や研究は,これまで数十年かけて積み上げられていました。

 一方,「深い学び」の方は,そもそも英語で表現できる概念なのか?という疑問が湧くほど,欧米教育制度輸入専門学者には説明不可能なものになっており,現場では戸惑いがあります。

 学習指導要領解説が公開されていますので,「改訂の基本方針」の

>③「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善の推進

 の項目を読んでもらえれば,「深い学び」を登場させている理由がわかります。

深い学び(ここにはカギ括弧が必要でしょう。出版されるときは訂正されると思います。)の鍵として「見方・考え方」を働かせることが重要になること。各教科等の「見方・考え方」は,「どのような視点で物事を捉え,どのような考え方で思考していくのか」というその教科等ならではの物事を捉える視点や考え方である。各教科等を学ぶ本質的な意義の中核をなすものであり,教科等の学習と社会をつなぐものであることから,児童生徒が学習や人生において「見方・考え方」を自在に働かせることができるようにすることにこそ,教師の専門性が発揮されることが求められていること。

 要は,「深い学び」はできない,としている学習の方法,考え方が生き残れない時代になった,ということです。

 研修に見えたある先生から,「深い学びとはどんなものだと思われますか」と問われたときに,

 文部科学省的には,上の内容ですよ,とお示ししたあと,

 私の本心は,「そもそも深くなければ学びではない」「人間そのものが深い存在だ」という趣旨のことをお伝えいたしました。

 10冊とか20冊程度の本を読んだだけで教育ができるのであれば,資格試験など必要ありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より