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自分で批判を受け止める気がない「親分」を戴く「子分」ほど,気の毒なものはない

 人から胡散臭く見られる宗教であっても,その宗教を信じる人を妨害してはならない。

 なんだそれ?といぶかられる言動をしている人でも,決して口をふさいではいけない。

 ただ,周囲の不満が大きくなったとき,だれが責任をとるべきなのか。

 本人がもし,「親分」の言う通り,「親分」が書いた本の通りにしているとする。

 周囲の不満は,すべて「子分」が受け止めないといけないのだろうか。

 悩んだとき,「本を読め」と言われても,問題が解消しないときはどうしたらいいのか。

 世の中には,自分の言いたいことだけ言って周囲を動かし,

 自身は「安全圏」にいるという自分勝手な人間がいる。

 「子分」からの信用を失わないように,ますます言うことが大きくなっていく。

 私から見ると,これは破滅の一歩手前のように感じてしまう。

 大きな話ばかりして立場の弱い人間たちを扇動し,あたかも

 お前は理想に沿った教育をしていると信じ込ませる姿は,

 とても危うく見える。私の杞憂にすぎないのなら,それでよいのだが。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より