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人を見捨てる余裕のある人にはわからない話

 子どもたちは,教師の想像以上に自分たちのことがわかっている。

 また,教師の想像以上に教師のことがわかっている。

 そういう子どもたちのことを信頼できない教師に限って,どんなことを言い出すのか。

 「だれも見捨てるな」

 これほど傲慢な言葉はない。お前は,何様なんだ?

 「私はだれも見捨てない」

 おいおい,お前に何ができるっていうんだ?

 うちの家族の喧嘩も止められるのか?

 家を出ていったオヤジを連れ戻せるのかよ。

 お前,俺たちのことがどのくらいわかってるんだ?

 できるやつには高い成績をあげて,

 できないやつには低い成績を刻み込んでいく。

 できないやつに花を持たせて,調子に乗せて,

 「おれは見捨てていなかった」と胸をはるのか?

 お前の手柄話のために,俺たちは利用されているのか?
 
 俺たちの間には,お前ごときが「見捨てる」も「見捨てない」もないんだよ。

 そもそもお前たちは,俺たちなんかに関心のない連中の言いなりになっているんじゃないか?

 関心があるつもりになって,「見捨てないよ」なんて,わざとらしいにもほどがある。

 浮かれた話に飛びついて,そのときだけ「その気」になっているのが見え見えなんだよ。


 子どもから見える「無責任な大人」の姿とは,どのようなものだろうか。

 最も胡散臭く見えるのは,「わかったような顔」をしている人間である。

 
 自信満々の姿で子どもを引っ張っていける時期は長くない。

 「不安でいっぱいの大人」がいても,一向にかまわない。

 教師の中には,自分自身を「見捨てる」ことを避けるだけで精一杯の人もいる。

 「人を見捨てる」ことができるほど余裕のある人間にはわからない話かもしれないが。

 そういう教師が,「あなた自身のことだけは,決して見捨てることのないように」と子どもに向かって願う姿に,冷水を浴びせるようなお節介な「同志連中」が邪魔なのである。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より