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結果至上主義の部活動と「全員に正解させる」教育の共通点

 目標だけを最優先させる精神は,多くの問題を生む。

 結果至上主義の部活動と,「全員に正解させる」授業には,全く同じ共通点がある。

 「できない」という状態や「失敗」を認めないということである。 

 「できていない状態」「わかっていない状態」=悪という単純な発想が,いかに子どもたちの健全な成長を阻害するか,教育現場に長くいる教師だったらわかるはずだ。

 「全員ができること」「一人も置いてきぼりにしないこと」を目標にする精神至上主義の教育をすると,どういうことが起きるのか。

 子どもたちにとっては,表面上の成果とは裏腹に,激しいストレスが蓄積していく。

 このストレスは「反抗」や「不満」といったものを根っことしない分,とてもやっかいなものである。

 人間は,内面の葛藤を抱えながら,成長する生き物であり,

 その葛藤は,年齢とともに変化する。たとえば教師だったら,単純な子どもとの関係から,上司との葛藤,学年の教員との葛藤,保護者との葛藤,地域の人々との葛藤へと「移行」していく。

 いつまで経っても子どもとの関係づくりが苦手な教師がいるが,子どもの方から「戦力外通告」されている教師は,もはや無理をする必要はなく,「助けてくれる大人」との関係を良好にするように努めるべきである。

 内面の葛藤は,「科学」では容易に解消できない。

 スクールカウンセラーに相談するだけで,問題が解決できるわけではない。

 だから,人によっては,「宗教」に救いを求めるようになる。

 「宗教」の特徴は,「絶対的に正しい何か」に信頼を寄せることから始まる。

 言い換えれば,「忘れること」「何もなかったことにすること」から始めるようなものだから,

 儀式的,儀礼的な同じことの繰り返しくらいなら問題ないとしても

 (ただここを最大の問題だと考える人がいるのも当然のこと),

 教育と宗教は決して接近してはならないものだということは常識だ。

 子どもたちに対し,まだ感覚的に理解不可能な「大原則」「約束」を押しつけて,

 自分は眺めているだけできょろきょろ,うろうろしているだけの教師を見かけたら,

 どんな本を読んでいるか確かめてみるとよい。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より