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頼る相手を間違うと子どもが不幸になる

 公立小学校に子どもを通わせている経験からすると,隣のクラスに警察官が入ったとか,ときに物騒なニュースを耳にすることもあるが,親としては淡々と日々の生活をこなしてくれている子どもと教師たちに感謝したい。

 多くの教師たちが,思うように子どもの学力が伸びないこと,子どもが言うことを聞いてくれないことに悩んでいる。

 その処方箋を与えているつもりの人間がいるから,仕方のないことではあるが,だれかに頼ろうと思ってしまう心が働いてしまう教師がいるのはいたしかたない。

 しかし,頼る相手を間違うことで,かえって孤立を深めて子どもたちにも悪影響を及ぼしかねない状況に陥る教師がいることが容易に想像できる。

 教育を変える処方箋など,どこを探してみたところで,見当たりはしない。

 目の前に問題があるのなら,そこでしっかり立ち止まって,同僚の力を借りながら解決すべきである。

 本を読んだら自分の教育が変わるなんて安易な姿勢は捨てるべきである。

 実証的なデータに基づく理論だ何だと言ってみたところで,

 使ってみようとするのは,実験とは全く異なる生育歴をもった人間ばかりの,異なった環境で過ごす集団である。

 教育とは,「理科」のように実験をする程度のレベルで全員同じ正解が出せる仕事ではない。

 高校の教師など,子どもが過ごしてきた15年間の重みを支えきることなど不可能だし,

 それは中学校の教師だけでなく,小学校の教師ですら同じである。

 教育学部の人間が実験室で考える,「だれでもできる」なんていう安直な教育方法は,

 子どもに多大なストレスをかける結果になることを忠告しておきたい。

 もし,ストレスをかけるのが目的だというのなら,私はそれも教育の一環としてありだと思うが,

 全く逆のねらいをもっているのに,ねらいに反した結果が出て悩むことほど間抜けなことはない。

 教師が本当の覚悟をもつようになるには,そもそも何でも言うことを聞いてしまう素直な子どもを相手にしているだけではダメなのである。

 自分が教員に向いていないのではないか,やめた方がよいのではないか,などと思い詰めるくらいでないと,本当の覚悟はできない(もちろん,本当にヤメたら終わり)。

 読解力のない子どもに,本を読めばわかる,と強要する教師も最低である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より