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英語達者な先生に習っても英語の成績が向上しない理由

 「平成28年度 英語教育実施状況調査の結果」が公開されている。

 報道で注目されているのは,「英語達者な先生に習っても,英語の成績が高くなるとは限らない」というごくごく当たり前の結果だが,公開されているデータから読み取れるのは,それだけではない。

 調査では,以下のような数値の推移が公表されているが,これらは「英語力向上」の原動力となりうると考えられているはずの内容である。

>「CAN-DOリスト」形式よる学習到達目標を設定している学校の割合

>授業における生徒の英語による言語活動時間の割合が高い学校の割合

>「話すこと」や「書くこと」における「外国語表現の能力」を評価するためのスピーキングやライティング等のパフォーマンステストを実施している学校の割合

>英語担当教員のうち、英検、TOEFL、TOEICなどの英語能力に関する資格・検定試験により、CEFR B2レベル相当以上のスコア等を取得している者の割合

>海外にある学校や研修施設等へ通った留学経験がある英語担当教員の割合

>授業において、教員が発話の半分以上を英語で行っている」学校の割合

 これらのデータと,生徒の英語能力向上との間に相関関係が見られない,というのが分析結果なのである。

 ▼平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果より

Eigo01

Eigo02

Eigo03

 3つのグラフのうち,視覚でだまそうとしているのが3番目であることはわかるだろうか。

 3番目のデータを,1番目か2番目のグラフ上で表現すれば,ほとんど変化していないことがわかる。

 「もっとALTの時間を増やさなければ」と思わせたいのである。

 様々なデータの中で「痛い」のは,2番目の「CAN-DOリスト」形式による学習到達目標の設定等の状況だろう。

 これだけ大幅な改善・・・というより,「行政指導の結果」だろうが・・・が見えているのに,「英語力の向上」にはほとんど結びついていない。


 まさか,日本の英語教育の質が,英語教師の「英語力の低さ」や「英語の教え方のまずさ」が原因だと本気で信じている人はいないだろう。

 日本人は英語を「話す」「聞く」能力で,国際標準とは言えないから,特に「話す」「聞く」能力の高い英語教師を増やそうとしたい気持ちはわからないでもない。

 しかし,ALTを活用した授業を中心にしてしまえば,「話す」「聞く」能力が本当に高まるのかと言えば,限界があることくらい,教員でなくてもわかることだろう。

 ICT機器の活用状況もおまけのように調査に付け加えられているが,たとえばiPadの無料アプリを使って発音のチェックを行っていくなどの個別学習による効果は出てくると考えられるが,テストという場でしか評価されない,あるいはテストの場でしか使わない,そういう能力を本気で高めようとする生徒がどれくらい確保できるかが疑問であることに気づかなければならない。

 小学校の英語教科化によって,「英語が嫌いな子ども」が増えるとも予想される中,今後も日本の「英語教育」は迷走するばかりだろう。行政が手を打っても,効果がついてこないのが露骨に示されてしまっているから。

 かなりの数の子どもたちにとって,「テスト以外に英語能力を活用できる場がない」ことが能力を高めにくい原因であり,現在のように教員の能力や教え方ではなく,子どもがもともともっている能力・・・こつこつ学習に取り組む真面目さなど・・・との相関が高い教科の切なさが垣間見えるニュースであった。

 「英語は筋トレだ!」と説く人もいる。

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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