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走っていると見えないものが,歩いてみると見えてくる

 「走る教育」,「歩く教育」という2つの言葉を並べてみると,どのような対比が見えてくるだろうか。

 一人の教師に目を向けてみると,私の場合は,40歳代までは「走る教師」だった。

 今は,「歩く教師」になっている。

 大きな怪我をして,あるいは,体重が重くなりすぎて,物理的に走れなくなったという意味も含んでいるが,「走れなくなった」というより「走らなくなった」と表現する方がよいかもしれない。

 もちろん超短期で考えると,「走る」こともある。

 ただ,かつてはいつも「走り続け」ていて,時々「猛ダッシュする」という感じだった。

 今では,基本的に「歩き続けて」いる。

 もしかしたら,生徒が「見える」ようになったことで「歩いている」ように感じているのかもしれないが・・・。

 「一緒に走らない仲間」や「ついてこれない子ども」が増えていることが,「歩く」姿勢を重視させているという気もする。

 とても単純に考えると,「歩く」ときは視野が広くなり,よそ見もしやすくなるが,「走る」ときは,視野が狭くなり,よそ見もしにくい状況で,急には止まれない,などいった欠点が多かった。

 「歩く」と,「走る教師」もよく見えてくる。

 それが危なっかしく見えるようになると,教師としては「晩年」を迎えるということだろうか。

 行政にいたころは,基本的に「立ち止まっている」状態だった。

 「立ち止まっている人」や「後ろ向きに走っている人」を見る機会も行政では多かった。

 「見える」ということが,いかにつらいものであるかということもよくわかった。

 もしかしたら,嫌なものを見ないですむために「走り続けた」のかもしれない。

 それでも,行政に比べれば,学校現場は,いたって健全なところである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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