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導入からでは本題がわからない授業が面白い

 本時のめあて・・・なんていう内容を板書してしまい,「今日,やることはこんなことか」とがっかりさせた経験がある先生はいませんか?

 えっ・・・私はまず学習のめあてを書くことから始めなさい,と教わったのですが・・・。

 ・・・もちろん,私も本時のテーマをいきなり書くところから始める授業も行っています。

 私が聞いているのは,「がっかりさせた経験があるか,ないか」ということです。

 たとえば,算数の授業で,「小数の足し算」と板書されて,気持ちが盛り上がる子どもっていますかね?

 私はもう50も過ぎていますが,完全なるテレビ世代です。

 これから学校に通う子どもは,親がテレビ世代であるだけでなく,生まれたときからスマホやタブレットがあるような世代です。

 こういう世代の人間に,いきなり「小数の足し算」を学びますよ,なんて言っても,「めんどくせーなー」なんて思われてしまいかねません。

 授業でいえば,タイトルの付け方を工夫して,ある程度進んだところで,ああ,このタイトルは,こんな意味があったんだと気づくような,そんな「遊び」が必要です。

 だから,小数の足し算では,「ずれたら大変!」なんていう板書から始めても,いいのではないでしょうか?

 戦前の教育を受けた人でも,「之字運動」なんて言われても,何の意味かわからないと思いますが,

 授業の導入の仕方の参考になるものですよ,と言われたら,どういう想像ができるでしょうか。

 「つい入ってしまいたくなるようなお店のような導入」とは,どのような工夫がなされた授業のことでしょうか。

 『書く力』(朝日新書)を参考に,考えてみました。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より