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家庭訪問が楽しみ

 小学生の娘の家庭訪問の日程が知らされたのだが,妻の方は仕事があり,今年は私が家にいなければならないことになった。時間割を変更して,休暇をとる必要がある。

 中学校教師の私にとって,家庭訪問する側だったのは,20年前にいた学校でのことである。

 その頃,「教師が家に上がり込む必要があるのか」「教師が家に上がる権利はあるのか」などといった議論があり,「窓口訪問」に変わった記憶がある。

 娘の小学校では,まだ「上がり込み訪問」を続けているようだ。

 さて,家庭訪問を「される側」は初めてであるので,少し楽しみなところがある。
 
 新しい担任は若い男性の先生だそうで,ちょっといじわるな質問をこちらからしてみようかとも考えている。

 「うちの娘は,道徳の授業が本当に苦痛のようですが,先生は道徳の授業が好きですか?」

 正直に答えてくれるかどうかで,その先生を信用するか,しないかが決まる気がする。

 そのときの気分にもよるだろうが・・・。

 ぜひ,巨人の連敗中の訪問にはならないでほしい。

 私が行った家庭訪問の思い出を,過去に記事にした記憶がおぼろげに残っている。

 一番感激したのは,女子の生徒がお茶を入れてくれたことだろうか。

 一番長かったのは,野球が好きなお父さんと,生徒や学校のこととは全く関係のない話をしたときだろうか。

 昔は,教師と保護者が信頼関係を築くことが容易だった気がする。

 家庭訪問は本当は嫌だった親も少なくなかったと思うが,保護者の趣味の話が最も指導の参考になっただろうか。

 綺麗な部屋の装飾を手作りで行っていたお母さんの子どもは,歴史博物館に勤めている。

 「つながり」が,とてもよくわかるので,記憶にも残る。

 嫌な印象を残されないようにしなくてはと,今から緊張もし出してきた。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より