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注目を浴びたい子どもがすること

 教師になって多くの人が最初に戸惑うのは,あり得ないような問題行動を起こす(繰り返す)子どもへの指導だろう。

 特に,自分の子ども時代にそういう問題を起こす子どもとの接点がなかった人は,「教師」であり続けることが難しくなる。

 あるときはできそこないの「刑事」になり,あるときは「裁判官」になり,そしてあるときは「暴力で動かす」人となる。

 問題行動を起こす子どもに「寄り添う」ことができるようになるには,経験者の声を何時間聞くよりも,自分自身でたくさん経験するしかない。

 「塾の先生」の延長で「学校の先生」の仕事を考えていた人は,自分は「塾の先生」の方が向いているのではないか,と自問してほしい。

 子どもが問題を起こすメカニズムは,本当に多種多様である。

 単純に,「目立ちたい」「人から注目されたい」だけが動機の問題行動もある。

 「規範意識が足りない」から,「規範意識を育ててあげよう」という「指導原理」では,問題行動を根絶できない。

 教師たちにとって基本的な対応策は,予防策でもあるべきである。

 「問題の行動」ではなく,「人から頼られる場面」「人にやさしくできる場面」など,プラスの意味の行動で目立てる環境を整えてあげることが大切である。

 もちろん,そういう場で「注目」されても,それで飽き足らない子どももいる。

 教師から指導を受ける=相手にされることを期待して問題行動を繰り返す子どももいる。

 要は「親代わり」を教師は務めるわけだが,それだけやりがいがある仕事であることがわかっていただけるだろうか。

 社会に出ても,食品ケースに入った写真を公開するなど,注目を浴びることに悦びを感じられる人間が多いが,それは若い人に限ったことではない。

 ブログ村の,教育論・教育問題の「注目記事」を見ていただきたい。

 「下劣」を絵に描いたような「内容のない」記事がアップロードされ,そして注目が集まる。

 注目を浴びたい「子ども」がすることに,ぶろぐ村は寛容なようだ。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より