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オウム全集

 著者に都合のよいことだけが書いてある宗教書のような教育の駄本を読んだら,こんな「先人」の話が書いてあった。

 ある教育の考え方に従って指導をすると,教材研究に時間をかけなくてすむようになる。

 その分,校務に費やす時間を増やし,他の先生方の負担を減らして,変わった授業をしている自分に対して批判を受けないようにしている,というのだ。

 こういう「先人」を参考にする,「教師」とは呼べない「教育事務員」が増えてしまうのを,管理職はどうにか防いでいただきたい。

 実践?を様々な校種の人が書いているのだが,著者が一人で書いているように思えてしまうほど,語り口が同じである・・・というより,言われたことを丸丸そのまま口にしているようなレベルの話ばかりである。

 このところの教育実習生は,指導案が全く書けなくなり,私が「これこれこういうことだから,そのことを題材にした教材を探してみて」というと,私が口にした「これこれこういうこと」を生徒にそのまま話して,先が続かなくなってしまうことがある。

 幸いにも,「先生,これって,こう考えてみたらどうでしょうか」という生徒からの助け船があり,学習が続いていったことがあったが,無言のまま授業時間が過ぎていく実習生もいる。大学が「オウム」ばかりを実習校によこしているため,自分の頭で自分の言葉を紡ぎ出すことができないで苦しむ実習生が増えている。

 だから一斉授業は無理なのだ,という主張もわからないではないが,そんな実習生に単位を与えないようにすればすむ話である。

 教育実習校が「防波堤」にならない限り,大量退職時の大量採用という恐ろしい「津波」は防げない。

 オウムの全集のようになっている駄本は,後々とても貴重な「証拠」になっていくだろう。

 「宗教書」というより,「宗教の宣伝本」にしか感じられないいかがわしさに,大学の教育学部という場所の「終わり」を見たような気がする。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より