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都心で見つけた「避難小屋」を訪れる人たち

 営業をやめたパン屋さんに近づくと,「男性」「女性」別々の入口が用意されていた。

 中に入ると,風呂屋の暖簾がかかっている。

 ここはどこなのか?

 奥から現れた女性は,週2回ここにいらっしゃる「管理人」であった。

 いろいろなものを見せていただいた。
 
 廃業したパン屋さんが使っていた,種類ごとのパンの値札。

 端数を見て,見学に訪れた生徒は,すぐに「これ,消費税が3%だったころのものだ!」と気づいた。

 他にも,廃業した旅館から運ばれた徳利やお猪口。

 「ケロリン」の桶。

 そして,奥には風呂屋の下駄箱。

 なぜか,奥の部屋には黒板があったが,何でも不登校の子どもがここで勉強することも可能なのだそうだ。

 もとは神社がたっていたこの場所は,地域の人々の特別なコミュニティー空間にする構想があったとのこと。

 「ものを捨てることが大切」という人の気持ちもわかるが,

 私は完全に「ものを捨てられない人」の代表であり,「ものをとっておいてくれている人」が大好きである。

 ここには,九州出身の小説家の方も訪れたそうで,出版された文庫本が置いてあった。

 何が人を引付けるのだろう。

 神社の跡地ということもあり,パワースポットの一種になっているのではないか。

 再び訪れずにはいられない,そういう場所である。

 ちなみに,昼食は,その近くの大正3年創業のお店でいただいた。

 地域を歩くのは,本当に面白い。

 前の記事で紹介した消防士さんも,「ブラタモリ」が大好きだそうだ。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より