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国立大学法人のある先生からのご質問ですが・・・

 これでもかと繰り返される現役の教師たちによる犯罪行為の報道。

 報道されるものが全部ではないところが哀しいところです。

 あるニュースで,バレーボールの強豪校の教師が・・・・と報じられていました。

 バレー部は何の関係もないのに,「~で有名な学校」というところにニュースバリュー(?)があるので,私も危うくバレー部の顧問がか?と誤解しそうになりました。

 江戸川区立の小学校教師は,強制わいせつ容疑で逮捕されました。

 ネットでは,SNSなどから判明したのでしょうか,本人の出身高校と出身大学が示されています。

 芸人さんに迷惑をかけている,なんていう指摘もあるようですが,子どもをこういう人間の魔の手から救う方法はないのでしょうか。今後,「男性の担任だけはやめてほしい」なんていう要望が女児の保護者から寄せられることが増えるかもしれません。

 これだけ多くの逮捕者が出ると,人事部の人間でなくても,どこの大学の出身者が危ない,という情報まで流れ出すかもしれません。

 さて,実名でこのブログにご質問をいただいた大学の先生がいらっしゃるのですが,後でご迷惑がかかるといけないと思い,非表示にさせていただきました。
 
 まずは,真っ当な大学の先生ならば,こんな低俗な匿名ブログの世界に足を踏み入れないようにすべきだと思います。実名で公開されている方は基本的に信頼できると思いますが,私のようなアウトローには近づかない方がよいかと・・・。

 ただ,私の記事が,翻訳された書名による検索で上位に来てしまうので,やはり気にはなってしまいますね。

 申し訳なく思います。

 その記事の中で,先生が書かれたある雑誌の原稿の内容が間違っていた,という指摘をしていました。

 その雑誌も原稿段階のプリントもすでに手元にはないので,どんな内容だったかわからないのですが,それほど歴史に詳しくなくてもわかるようなレベルの間違いだったと思います。

 同じ大学にいらっしゃる,歴史を専攻された先生にお聞きいただければ,すぐにご指摘していただけると思います。


 それにしても,文科省の植民地みたいになっている国立大学では,さぞやお仕事がやりにくいことでしょう。

 では私立大学ならばどうかと言えば,こっちも補助金獲得のために天下りを受け入れるのに躍起になっているようで,「再就職自粛」が長引けば,「先に取ったもの勝ち」になりかねない状況ですね。

 「主権者教育」なんていう,国民をバカにしたことをやろうとしている人たちの言いなりになるうちに,主権者の感覚とか大学の自治意識などを失っていき,どこかの国と同じような末路をたどりそうで悲しくなります。

 天下り先斡旋業務が最重要任務だった官僚も,どこか憎めないところがあるのは,この国はまだ「法治国家」のレベルに達していない,ということと,「世襲」や「コネ」が威力をもつ「文化」があるからでしょうか。

 数値目標を達成することしか頭にない人たちばかりなら,たとえば投票率を上げたければ,芸能人を総動員して,投票所に投票券をもってきたら必ず握手できる仕組みにすればよいわけです。

 ただ,裁判員裁判のDVDに出演していた女優が覚醒剤でつかまったように,芸能関係特有のリスクも高いわけですが・・・。
 
 何のお答えにもなっておらず,申し訳ございません。

 本拠地(?)の方でご活躍になれる日が来ることをお祈り申し上げております。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より