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小学校による子どもの違い

 私は中学校の教師だが,小学生6年生を相手に授業をしたことが2度ほどある。

 1つ目の小学校では,中学生より賢いのではないか,と思えるほど輝いていた。

 テンポもよく,何より意欲が非常に高い。活動がとても活発で,無駄がない。

 2つ目の小学校では,全く逆で,時間が非常に遅く流れていく感じだった。
 
 テンポが合わない理由があとでよくわかった。

 いつもすぐに発言するような子どもが,黙っていたのだ。

 答えがわかっているのに黙るわけではなく,わからないから答えられないだけだった。

 いつもと質問の難易度が異なる。

 中学校の教師による授業だから,戸惑うのは当然かもしれない。

 ただ,残念なのは,能力が高い子どもがわかっているのにもかかわらず,

 発言をしなかったことである。

 私は子どものノートを見ながら授業していたので,ある子どもが書き出していた優れた意見を紹介するなどした。

 これは,教室ではタブーだったに違いない。

 能力の高い子どもの答えを先に出してはならない,という暗黙のルールがあったからだろうか。

 後者の学校は,全国から先生方が集まってくる小学校であり,

 前者の学校は,一般的な公立小学校である。

 教育は,学校によって,とても大きく異なっていてよい。

 学級によって,暗黙のルールが異なることもあってよい。

 ただ,「見世物」としての学習を続けていくと,結局のところ,学力はあまり向上しないことが証明されている。

 子どもをそっくり入れ替えてみる,という実践をどこかでやってくれないだろうか。

 授業は,教師の力によって大きく左右するものである,という仮説が証明されるだろう。

 それはいけない,「ハズレ」に当たるのは困る,という声もあるだろうが。

 深い思考に入れない子どもが増えている原因は何だろうか。
 
 この主な原因は,深い思考に入れる子どもが増えていることにあるのかもしれない。

 教育は,格差を拡大するために行われている,という言葉に心当たりがある人は多いのではないだろうか。

 格差を拡大しないようにするための教育をすれば,どうなるか。

 言うまでもないだろう。歴史は繰り返している。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より