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ヘンな人とヘンではない人の差

 ぶろぐ村のブログを読んでいると,きっと「この人はとてもヘンな人だなあ」と思える記事に出会える。

 他人に対して「異常」だとか「頭がおかしい」とか言えてしまうのは,小学生のようにまだ人間や社会のことがわかっていない子どもだけではないのである。

 ただ,だからといって「ヘンな人」を排除するのもよくないのだと言える「大人」でありたい。

 コミュニケーションとは,「自分が変わるための手段だ」と表現する人がいる。

 「ヘンな人」でも,人から学び,「変わる」ことができる存在なのだと信じていたい。

 ひどい表現を使うのは,自分が変わることができずに苦しんでいる姿なのだと考えてあげればよい。

 不本意なかたちで職を追われ,日々満たされない思いで過ごしている不幸な人もいる。

 こういう人が,SNSなどを使っていても,「自分を変えることができる」のだと確信がもてる経験をこれからの人にもわかってほしい。

 「自分を変えることができない人」は,一般的には「ヘンではない人」に見えるのかもしれないが,決してそうとは限らないと自分に言い聞かせておきたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より