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権力に縛られたい症候群の教員たち

 長く教員生活を送り,公立や国立学校,教育委員会や文科省の仕事をしていると,本当に様々なタイプの教師たちに出会う機会があった。

 基本的に私が出会ってきた教師のほとんどは,「やる気のある優秀な教師たち」というカテゴリーに入るであろう人たちばかりなのだが,そういう教師のなかにも,様々なタイプの人がいる。

 私が今,一番気になっているのは,「この人は,権力に縛られることで安心感を得ようとしているんだな」と感じる人たちである。

 文科省の「万死に値する」行為が表面化したとしても,そこへの忠誠を尽くすことが公務員の本分であると強く強く信じて疑わない人たちへの私の違和感は,過去15年以上に渡って協力してきたものの,「悪い結果は表に出さない」というご都合主義や,違法な再就職斡旋行為を誤魔化そうとした,腐りきった組織に過ぎないと見切った人間だからこそ湧いてくるものなのだろうか。

 歴史の授業で,世の中の大きな流れを中学生とともに学んできて,今ほど「繰り返す歴史の恐ろしさ」を実感しているときはない。

 指示されたものに,ひたすらありがたがってすがりつくような人間が増えれば増えるほど,社会の危険度は増していく。

 もちろん,一定の成果が出せるように変わるからこそ,従順な人間が増えるのだろうが,その先の出来事を私たちは歴史から学ぶべきだろう。

 もはやどうでもいい話だが,大学が文科省から助成金をたくさんもらうためのスキルとは,どのようなものだろう。

 そのスキルを持っている人間が文科省の中にしかいないのであれば,大学側の天下り獲得競争が起きる仕組みがあることに気づくには,たいした能力を必要としないだろう。

 慶応大学に私学助成課長経験者が天下っていてもいなくても,90億円確保できたのかどうかを,確かめる方法はあるのだろうか?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より