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インフルエンザによる高校入試の追試

 このブログでは,新型インフルエンザが流行したときに,高校入試では受験生に別室受験などの機会を確保しないと,受験会場での感染拡大の恐れがあると指摘していた。

 先日の報道では,文科省から,高校などに対して,インフルエンザにかかった生徒に追試の機会を設けるように求めた通知が出されたとのことである。

 この通知がいつ出されたものかはわからないが,追試の問題作成,追試の受験日の設定などは,急にできるわけではないから,これからの入試ですぐに採用されるわけではないだろう。

 東京都立高校で言えば,二次募集の前に一次募集の追試を行うということになる。

 文科省は,引き続き調査を行うとしているが,きっと明らかにならないだろう数字がある。

 それは,本来,インフルエンザにかかっているので,出席停止期間なのに,隠して受検しに来た生徒の数である。

 実際に高熱を発しており,いかにも体調が悪そうな生徒なら,監督者が見つけて,保健室や別室で保護することもできようが,試験に集中している生徒すべてをチェックするわけにもいかない。

 感染症にかかった生徒の受検機会の確保は,とても難しい問題である。

 追試を行うべきかどうか。別室受検を認めるかどうか。

 「各学校に任せる」ということにすると,学校による対応の違いが問題となってしまうから,教育委員会として何かの決断を下さなければならない。

 新型インフルエンザの対応について,私の甥っ子が受検する可能性があったいくつかの高校に問い合わせをしたら,教育委員会から電話がかかってきて,「余計なことを聞くな」という恫喝があった。

 高校の管理職の判断は,「黙っていること」「クレーマーの処理は教育委員会に任せること」であったのだ。

 たった一人だけ,返事をくれた副校長先生がいたが,都民ファーストのこの先生にまで迷惑をかけてしまったとしたら,申し訳ないと思う。

 高校は,無償になったとしても,義務教育ではない。

 義務ではないのだから,別に進学できなくてもいい。

 大学進学実績を出したい高校で,受検生が優秀だった場合は,きっと「どうにかしてあげたい」と思うだろう。

 新型インフルエンザのときは,「切り捨て」に過ぎない態度だったものが,

 知事が変わったことで,どんな変化が見られるのか。

 もちろん,本当に変わらなければならないのは,教育そのものなのであるが,

 感染症によって進学の夢を絶たれる子どもを生まない仕組みは必要だろう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より