ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 他人への要求ばかりが大好きな人たち | トップページ | 現場での教育という仕事は,「攻撃」の対象になった時点でアウトです »

昭和を生きた「厚かましき」人々

 昭和20年=1945年は,日本にとって,とてもとても大きな区切れ目となった。

 海外からは,「戦後」という時期区分の異常さを指摘する向きもあるようだが,

 それでも「戦後」は「戦後」であろう。

 太宰治の『走れメロス』が発表されたのは,いつのことか,ご存じだろうか。

 中学校の教科書に掲載されているから,あらすじを聞くだけで,内容をすぐに思い浮かべられる人も多いだろう。

 1930年代の後半から1940年代の前半にかけて,

 国民には,「国家への奉仕」が強く要請されていた。

 (『公共』という科目が生まれそうな,これからの社会と似たような時代である)

 こういう情勢下でものを書かなければならなかった時期と,

 戦後の自由で縛りのない社会の中で何でも書ける時期とを比べると,
 
 どちらの方がつらかったのだろうか。

 人間には,縛られること=一定の自由を奪われることで,

 適度な居心地の良さを感じてしまう部分がないだろうか。

 自由に耐えうる力というのは,決して軽いものではないはずである。

 自由に耐えうるたくましさを発揮した人を「厚かましい」と表現すると,

 「厚かましい」生き方をしてきた昭和の人たちが,

 「厚かましい」まま生きられる社会であった方が,

 平和が保たれるのではないか,と思う一方で,

 この「厚かましさ」のせいで,日本から子どもがいなくなるのではないか?

 という心配もある。

 孫の世話ができる段階の世代の人たちは,どれくらいいるのだろう。

 孫世代の面倒を見ようとする人,面倒を見る余裕がある人,その幸せを願える人たちが

 いなくなり,「厚かましい老人」ばかりの国になってしまったら・・・。

 佐藤愛子著『それでもこの世は悪くなかった』(文春新書)への佐藤優のレビューを読んで,頭に思い浮かんだことを書かせてもらった。


 価値観の一変を経験した世代が,この社会に残してくれるものは何だろう。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 他人への要求ばかりが大好きな人たち | トップページ | 現場での教育という仕事は,「攻撃」の対象になった時点でアウトです »

教育」カテゴリの記事

書評」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

歴史学習」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

グローバル人材」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

アクティブ・ラーニング」カテゴリの記事

教員採用試験」カテゴリの記事

指導主事」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 昭和を生きた「厚かましき」人々:

« 他人への要求ばかりが大好きな人たち | トップページ | 現場での教育という仕事は,「攻撃」の対象になった時点でアウトです »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より