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学習意欲向上のためにドーパミンをどうやって放出させるか

 教師が小さい問いを授業で発するとき,小学校ではすぐに答えられる子どもが答えられない子どもより多く,

 中学校ではその逆で,答えられる子どもは答えられない子どもより少なくなる。

 いずれにせよ,答えられない子どもがいる問いを出すのが教師の仕事の一つである。

 脳科学のことを勉強したことがない教師でも,

 自分では解けない,わからないに違いない,と思っていたことが,

 解けるようになったり,わかったりした瞬間の悦びは,その後の学習にとてもよい影響を与えることに気づいているはずである。

 だから,教師というのは,授業の中で,「わかる瞬間の悦びをうまく引き出す」ことが重要な技能となる。

 逆に,その瞬間をはずす教師は,子どもの意欲を高めにくく,指導力が不足していることを実感しなければならない。

 子どもの「わからない」状態を苦にせず,むしろ「今がチャンス」という余裕をもつことが大切である。

 安易なヒントは出さない。

 プレゼントというのは,中身がわからないように包装紙に包まれている方が,相手は楽しみにしてくれる。

 子どもに学習を丸投げしている教師でも,実は何もできないわけではないが,やはり,

 グループや個人など,子どものペースで学習をさせると,

 わかる子どもが答えを教えてしまったりして「悦びの瞬間」が味わいにくくなる。

 なぜ,教師の一斉授業の形態が最も一般的なのかというと,

 教師の側が,子どもの理解度を常に把握しながら,少しでもレベルの高いところまで連れて行く機会を確保するためである。

 子どもの中には,この「悦びの瞬間」を他の子どもに与えるスキルをもっているのがいるかもしれない。

 教師の大事な悦びの一つは,子どもの悦びの瞬間をとらえたときにやってくる。

 さらによいのは,子どもが他の子どもにその悦びの瞬間をもたらしてくれたときである。

 教師自身,悦びを感じながら,授業のスキルを磨くことによって成長することができる。

 易しすぎる問いでもだめだし,難しすぎる問いでもだめ。

 私が教育実習生の指導で最もこだわっているのが,「問い」によって生まれる空気の扱い方である。

 「わからない」ことに抵抗感がありすぎる実習生は,なかなかほどよいレベルの問いが発せられない。

 「わからない」状態を少しでも子どもと共有することに抵抗感がない人の方が,教師には向いていると思われる。
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より