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他人への要求ばかりが大好きな人たち

 学校では,「モンスター」と呼びたくなるのは,夜中の2時に苦情電話をかけてくるような保護者だけとは限らない。

 どうしてこうも,要求ばかりが好きな人がいるのだろう。

 よくそんな要求を次々に思い浮かべることができるのだろう。

 自分でやればいいのに。

 無理なのはわかっているのに。

 「民主的な話し合いの場」では,様々な要求に対して,ああでもない,こうでもないと始まるが,時間ばかりがいたずらに過ぎていく。

 今の国会と同じである。

 テレビ中継されている国会では,中学校や高校の授業でも紹介できる,もっともましな話は聞けないのだろうか。

 私も,行政にいるときには,とにかく人々の要求を叶えるために活動するのが主な仕事だったように思える。

 あまりに無茶な要求には,どうしてその要求が通らないのかを切々と訴えるのだが,

 全く耳を貸さずに,同じ要求ばかりを同じ論理で繰り返す人たちがいた。

 「公正さ」「公平さ」の基準が異なるので,話がかみ合わない。

 その論理はどこがおかしいかを説明してあげても,同じことを繰り返すだけなので,

 やたらと時間ばかりが過ぎる。

 時間が来ると,大人しく去って行かれる姿を見ると,

 無駄なのはわかっているのに無駄な要求をしないといけない人たちがいる様子がよくわかってくる。

 「少しは自分のメンツは立った」と得意げに帰っていった方の表情は忘れない。

 議員さんたちも似たようなものなのだろう。


 経済の世界での「効率」の話はおそろしいものである。

 経済の世界で生きてきた大統領が,政治を始めている。

 民主主義の政治ほど,「効率」の悪い仕組みはない。

 まだ,人々は,民主主義の原則を捨てようとしていないようだが,

 いずれは,「要求を通してくれる人がすべて」みたいな社会になっていかないか,心配である。

 より「効率」のよい独裁政治を・・・と。

 
 教育現場では,もう少し,自分の頭で考えたり,自分の力で問題を解決したりすることができる子どもを育てたいが,そういうことができない教員も何とかしたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より