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子どもを輝かせるための仕事を教える教職課程の科目とは?

 教師の仕事は,子どもを輝かせるためにある。

 子どもが子どもを輝かせるための力をつけさせることも教師の仕事である。

 勘違いしている教師は,いつも同じ子どもが同じような条件で輝くためのお膳立てだけをしている。

 自ら輝きを発している子どもと,それに照らされているだけの子どもの区別がつかない人がときどきいる。
 
 自分ではなく,仲間を輝かせることができる子どもを育てるにはどうしたらよいか。

 様々な場面で,様々な子どもにリーダーとしての自覚を持たせることが最善の教育方法である。

 様々な子どもにリーダーとしての自覚を芽生えさせ,行動を起こさせるための手がかりを与えるのは,

 教師自身のリーダーシップである。それも,一人の教師だけのリーダーシップではなく,子ども同士と同じように,

 教師同士が,一定の役割を分担し合って,それぞれが活躍している姿を見せる必要がある。

 中学校に子どもが進学すると,小学校では見たことも聞いたこともなく,全く想像できなかった教師集団のチームワークを目の当たりにすることができるようになる。

 日本の学校では,「学年」という集団のもつ教育力が際立っているものである。

 その「教育力」は,ときに「破壊力」を発揮してしまう場合もあるが,そういうときこそ「教育力」に転嫁できる最大のチャンスとなる。

 こういう話を大学生にしてみたと仮定してみよう。

 キョトンとしている学生や意味不明で怪訝そうな学生と,そうではない学生に議論させてみたい。

 「学年」の教育力とは何か。

 教師の集団のチームの基本は,「学年」である。
 
 これがチームとして機能していなかった学校に所属していた学生たちには,将来,教師になったときに,なぜそれが大切なのかを理解させてあげなければならない。

 さて,こういう話を教えてくれる教職課程の科目とは,どういうものなのだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より