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告示される前から失敗することがわかっている学習指導要領改訂のねらいとは

 学習指導要領の改訂は,およそ10年サイクルで行われる。

 10年は長そうに見える期間だが,改訂のスケジュールを考えると,10年が最短のサイクルである。

 新学習指導要領実施→実施状況の調査→中教審の審議→指導要領作成→教科書作成→教科書検定→教科書採択

 間もなく告示される次の学習指導要領は,中教審ワーキンググループの議論やそのまとめがHPに掲載されており,ほぼその全貌がわかっている。

 「アクティブ・ラーニング」がキーワードになっているが,要は小中学校でがんばってきた授業改革を,制度上は義務教育ではない,高校にも拡大していくことがねらいである。

 一言で表現してしまえば,日本では実質的にほぼ義務教育化している高校の教育改革がねらいだということである。

 歴史などは,私立大学入試の穴埋め問題を見ただけで,本当に意味のない勉強を強いている高校の課題が明白である。

 高校の授業がこんな状態なのは,大学入試に備えるためだ,という言い逃れがあるため,大学入試を変える,というのがセットの条件になった。

 大学入試が変わるのだから,高校の授業も変わらなければならないのだと。

 小学校や中学校レベルの「話し合い活動」をすれば,許してやる。もちろん,力がつくかどうかは知らないけど。

 というストーリーだが,この流れのばからしさは,塾関係者が(受験を控えた中高の教員も)一番良くわかっている。

 そもそも「大学入試を変える」ことなど,そう簡単にはできない。

 問題作成を経験したことがある人など,ごく一部かもしれないが,その分析や対策をしてきた塾関係者はよくわかっていると思われる。

 どんな問題を出すにしろ,できる生徒はできるし,できない生徒はできない,というのが「常識」である。

 そして,「思考力・判断力・表現力」を測るための問題で,採点に客観性や信頼性が担保できるものなどは,学校の定期考査ですら難しいことも「常識」である。

 合否の判定材料になる大学入試などで,答えがいくつもあるような問題を出題することなどはできない。

 採点方法やその結果で大もめにもめるような入試では,入試業務だけで1年が終わってしまう。

 つまり,告示される前から,高校の授業が確実に失敗することがわかっている学習指導要領の恩恵を最も受けるのはどこかと言えば・・・・学習指導要領に縛られずに教えられる塾・予備校などの教育産業である。

 ある教育産業のHPに,各学校に対する生徒や保護者による多面的な評価が掲載されている。

 私の学校の場合は,各項目について高い評価を得ているが,「学習」についての評価が低い。理由は,「受験に役に立たないことをしているから」。

 おっしゃる通りである。ただ,これから告示される学習指導要領の趣旨にぴったりの教育を100年以上続けている。

 中学校も高校も,どことの比較かはわからないが,通塾率が高くなるというデータも紹介されている。

 別に,塾に通う生徒が多いことを「失敗」だと言いたいわけではない。

 最も簡単に予想できることは,高校での「授業崩壊」「学級崩壊」が増加することである。
  
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より