ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 妖怪がいなくても問題ないセンター試験問題 | トップページ | 「継続」こそが使命なり »

「仕事をさせていただいている」という感覚の消滅

 社会には,「本職」とは別の「仕事」が忙しいものの,

 しっかりと「本職」のつとめも果たしている人たちがたくさんいる。

 学校でPTA活動に参加してくださる保護者がその例である。

 一方で,「本職」がろくにつとめられないばかりでなく,

 「本職」以外のことに全くタッチしようとしない人たちもいる。

 学校関係者では例を挙げるまでもないだろう。

 学校の教師が今まで果たしてきた役割が,

 「間違っている」という人間がいるが,

 現場にいる公務員の中で,自分の権利のことばかり考えて,

 奉仕しなければならない対象のことをおろそかにできる人間はごく一部であると信じたい。

 学校の教師が恵まれているのは,「本職」以外にしなければならない「仕事」も,

 基本的にはすべて直接的に子どものためになることが多いことである。

 社会一般の多くの人が果たしている「本職」以外の「仕事」が,必ずしもそういうものばかりであるとは限らない。

 教師は,だれもが就ける職業ではない。
 
 就くのが難しいというのは,採用試験の壁があるという理由だけではない。

 私から見れば,ほとんど意味のない単位を大学で大量にとらなければ資格がとれない不幸なシステムができあがっているのが現状である。

 苦労して現場に入った人間たちが,・・・「本職」にあたること以外にタッチしたくない・・・勤務時間が終わったら,さっさと帰りたい・・・などと言い出す元凶は,「本職」以外で金を稼いでいる人間がうようよいる大学にあると確信している。

 ろくでもない将来像を若者に植え付けて,子どもたちだけでなく,若い教師がまともに成長できる芽も摘み取ろうとしている,「兼業万歳」の大学の人間をどうにかしてほしい。 

 公務員の中で,「仕事をさせていただいている」という感覚が欠如した教師が見せる態度ほど醜いものはない。

 奉仕の精神を失った同僚と,自分と自分の子どもの権利ばかりを主張する保護者たちに囲まれる苦労を想像してみてもらいたい。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

« 妖怪がいなくても問題ないセンター試験問題 | トップページ | 「継続」こそが使命なり »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

レジリエンス」カテゴリの記事

教員採用試験」カテゴリの記事

リスクマネジメント」カテゴリの記事

指導主事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「仕事をさせていただいている」という感覚の消滅:

« 妖怪がいなくても問題ないセンター試験問題 | トップページ | 「継続」こそが使命なり »

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より