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小さな「違い」には敏感で,大きな「違い」には鈍感な人たち

 大きな「違い」には鈍感で,小さな「違い」にはとても敏感な人たちがいる。

 「違い」が大きすぎると,「比べる」という思考が停止してしまう。

 一方,小さい「違い」の方は,思考や感覚がフル回転し,「とても気になる存在」になる。

 「細かいところに気がつく」習性が,発達に多大な影響を及ぼした産業もあるだろう。

 大きい「違い」の方はスルーできてしまうことで,余計なトラブルを避けることができていたと言える面もあるだろう。

 ただ,時代は大きく変わっている。

 今までスルーしてきた大きな「違い」に目を向け,どうでもよい小さな「違い」にこだわらない性質をもつ人が増えていかないと,つぶれてしまうところはないか。

 たとえば学校現場。

 学校教育に関しては,どんなことをスルーしてきたか。

 たとえば「異常に多い1クラスの人数」。義務教育だけではなく,大学も同じである。

 「こんな状態では,教育効果は測定できない」という声をほとんど聞かないのは,

 外国とまともに比較する気がなかったからだろう。

 どんな細かいことにこだわってきたか。

 観点別学習状況の評価である。

 A(十分満足)とB(おおむね満足)の違いはどこにあるのか。

 この説明を,たとえばある単元の学習について,同じ県のすべての市の中学校教師たちが同じようにできるわけがない。

 しかし,同じようにできることが前提となって使われているのが高校入試の内申点である。

 様々な学習場面,活動場面があったはずである。

 それをAとBにきちんと分ける根拠を,すべての教師がもっているとは思えないし,

 その基準が同じであるとは思えない。

 そんな議論は完全にスルーされてきた。

 でないと,「入試に公平性がない」ことになってしまうからである。

 「できていることにする」という発想が,ここでだけ許される理由は単純であるが,

 「全員が困る」ことには目を向けない,という無責任さがさまざまな不幸を招いてきたことにそろそろ気づくべきではないか。

  
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より