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65歳以上=「准高齢者」,75歳以上=「高齢者」時代へ突入か

 老年学会という組織の存在をニュースで初めて知った。

 学会員の構成を知りたいが,それよりも「高齢者」のくくりの変更提案については,以前にもあったことを思い出している。

 1億総活躍社会の実現には,高齢者の「働き」が重要な意味をもってくる。

 生徒とこの話題を論じたときに出てきた考えは,

 「人によって年齢と元気さが異なる」というもので,

 75歳でも健康的な方もいれば,65歳以上で働くことが困難な方もいる・・・・

 身近な高齢者を多く知っているために,意見も具体的である。

 教育現場では,ぜひとも65歳以上の方々の活躍の場を確保したい。

 私の勤務校の教員OB,OGの会には,100歳近い人も参加しているため,

 65歳くらいの先生は実働部隊だが,かなりの「下っ端」である。

 さすがに100歳に近づけば,歩くこともままならないが,

 「話す」ことにかけては全く引けを取らない。

 目を閉じればそこに60歳くらいの先生が立たれているような気になる。

 「老害」という言葉でこうした経験豊富な先生方を排除したい人もいるだろうが,

 排除したいという点では,30代でもちらほら存在しており違いはない。

 長い長い「中年時代」の真ん中当たりにいる身としては,

 自分が75歳で何をしているか,実感が湧きにくいが,

 フォールドワークでの研究を欠かさず実践されている方もいる。

 その徳にあやかりたいという気持ちを抱かせてくれる人が,

 学校現場にどれだけ存在するだろう。

 道徳とは,その人の体からにじみ出てくるものに影響される,「そういう教育にあたるもの」であってほしい。

 少なくとも,健康な高齢者の割合が増えることが,日本全体の成長にとって二重の意味で重要であることを強調してほしい。

 そして,健康であるためには,何が必要か,タイプごとに整理してみてほしい。

 働くことを生きがいにするタイプの人,自分の築いた財産を使って趣味に生きたいタイプの人など,さまざまな「生活スタイル」の提案をセットにして,不安のない終活が送れるまでのイメージをつくっていってもらいたい。

 83歳になられた天皇陛下の一日の仕事を宮内庁HPからコピーした。こんな多忙な83歳がどこの世界にいらっしゃるだろうか。

*****************

天皇陛下お誕生日行事一覧
平成28年12月23日(金)
時刻 出御 行事 事項 場所
午前9:00 御代拝 天長祭の儀 三殿
同9:30 両陛下 祝賀及びお祝酒 侍従長始め侍従職職員 御所
同10:00 天皇陛下 祝賀 長官始め課長相当以上の者,参与及び御用掛 鳳凰の間
同10:05 皇后陛下 祝賀 長官,次長(職員総代),参与 花の間
同10:20 両陛下
お始め 一般参賀 春秋の間
(東庭)
同10:30 天皇陛下 祝賀の儀 皇太子同妃お始め皇族各殿下 松の間
同10:30 皇后陛下 祝賀 皇太子同妃お始め皇族各殿下 梅の間
同10:40 両陛下 お祝酒 皇太子同妃お始め皇族各殿下,元皇族,御親族 連翠(南)
同11:00 両陛下
お始め 一般参賀 春秋の間
(東庭)
同11:05 天皇陛下 祝賀 宮内庁職員,皇宮警察本部職員 北溜
同11:30 天皇陛下 祝賀 旧奉仕者会会員(元宮内庁職員及び元皇宮警察本部職員) 北溜
同11:40 両陛下
お始め 一般参賀 春秋の間
(東庭)
同11:50 天皇陛下 祝賀 堂上会総代(3名) 鳳凰の間
午後0:55 天皇陛下 祝賀の儀 内閣総理大臣,衆・参両院議長,最高裁判所長官 松の間
同1:00 両陛下
お始め 宴会の儀 内閣総理大臣等 豊明殿
同3:00 両陛下
お始め 茶会の儀 各国の外交使節団の長及びその配偶者 春秋の間
同3:30 両陛下 茶会 元参与,松栄会会員,元側近奉仕者,元御用掛 連翠(北)
同4:40 両陛下 茶会 御進講者等御関係者 御所
同6:00 両陛下 祝賀 愛子内親王殿下
悠仁親王殿下  御所
同6:30 両陛下 お祝御膳 皇太子同妃両殿下
秋篠宮同妃両殿下
黒田様御夫妻 御所
 
******************* 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より