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教師の「調整能力」「根回し力」を高めるには

 「根回し」という言葉の意味は知っていても,その語源まで詳しく説明できる人はいないでしょう。

 もし「根回し」の語源を知っていたら,もっと「根回し」が上手になるかもしれません。

 子どもと向き合う時間が多い「学校」という職場では,ときとして教員間の意思疎通が十分にとれていないためにトラブルが起こることがあります。

 もちろん教員個々人にトラブルを避ける責任があるのですが,少し高いところというか引いて見ている人でないと,トラブルの原因が予想できない場合があります。

 ですので,教務主任や生活指導主任,学年主任といった立場の教師が,関係する教員の「共通理解」を確認しながら仕事を進める工夫をしたいのですが,この主任同士でも意見の対立などが起きたりします。

 そこで教頭,副校長の存在意義が見えてくるわけです。

 ただ,パソコンの画面や書類の方ばかり見ている管理職では,話になりません。

 では一体だれが,学校の中で「調整役」になれるのか。

 私が一番期待したいのは,初任者か2年目くらいの若い先生たちです。

 初任者くらい何もわかっていない人間の方が,気づきやすい問題がたくさんあります。

 だれとだれが仲が悪い。

 だれはだれを軽蔑している。

 だれはだれの悪口を言っている。

 (実は子どもの方がよくわかっている例もあるのですが,)若い先生は,こういう大人の「ドロドロ」した部分に敏感に反応できます。

 若い先生の大特権は,八方美人でいられることです。

 「教えてほしい」という気持ちを前面に出して,ありとあらゆる人に接することで,

 いろいろな人の本音が見えてきます。

 ときと場合によっては,力のある教師同士をうまくつなぎ合わせる力も発揮できる。

 これが若い先生の武器です。

 異動したての先生が同じような手段をとることもできるのですが,

 若い人と違って,「あの人はあっちと仲が良さそうだな」とひがまれる恐れがあり,より慎重な行動が求められるので難しいところがあります。

 若いときに「調整」の経験をすると,自分がやはり若い先生に「調整」される立場になったときに,若い先生の「調整力」をより強く発揮できるよう,協力してあげられるようになる。

 「火中の栗を拾う」みたいなことになる場合もありますが,

 大火事も一度くらいは経験してみてもいいでしょう。

 子どもに害が及ばないことが前提ですが・・・。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より