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1+1+1+1+1=100

 東京メトロ丸ノ内線を長年利用していると,年に1回くらい,後楽園駅で驚くほどの人数の女性が下車するところを目撃してきた。

 年齢層が非常に幅広い場合は,SMAPのコンサートが開かれていることが多かった。

 目を輝かせて地下鉄をあとにする中高年の姿が忘れられない。

 ファンの方にとっては,「解散」の寂しさは,言葉では表現できないほどだろう。

 「忘れたくない」存在のSMAPだろうが,

 過去の様々な姿の中で,多くのファンが最も記憶から「消し去りたい」と思っているのは,

 生放送での「謝罪」場面ではなかろうか。

 私は教師だから,子どもの「謝罪」をたくさん見てきたが,

 実際に「謝罪」の気持ちを持っているどうかくらい,おそらくは教師でなくてもすぐにわかる。

 いい歳をした大人が,「ごめんなさい」をした後で「やっぱりダメでした」というオチをつけてしまったのだから,カッコ悪すぎる。

 「謝罪」の気持ちがなくても,「謝罪」の言葉を口にすれば,

 「謝罪」が成立したことになるのは,日本が「言霊」の国だからかもしれない。

 個性が異なる5人が1つの集団として機能するSMAPは,「日本型の和」の象徴だったのではないか。

 SMAPを数式で表わすと,1+1+1+1+1=100 になる。

 取り替えや組み替えがきくアイドルグループも日本らしい気がするが,

 お互いにライバルというわけでもなく,それほど仲が良さそうでもない5人が,独特の空気感をもって接している姿を見ることはなくなるのは寂しい気がする。

 「解散」というより「離陸失敗による空中分解」という形容ができるような終わり方だったことが,

 ファンにとっては何よりも後味が悪いものだろう。


 ファンではない私が複雑な気分でいるのは,

 SMAPを「利用」していたのはだれだろう,という問いの答えが見つからないからである。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より