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「入試制度改革」は「教育改革」とセットでなければ成立しない

 教育という仕事の難しさは,「目標」があいまいなところにある。

 「目標」があいまいだと,「指導」があやふやなものになる。

 「指導」があやふやだと,「評価」は間違いなくいい加減なものになる。

 「目標」を具体的・固定的なものにすると,「指導」があぶなくなる。

 「指導」があぶなくなると,「評価」は何かを破壊し始める。

 現状は,「目標」など関係なく,画一的で硬直的な「指導」があり,

 「評価」は機械でもできる仕組みになっている。


 これまでの教育現場では,「受験問題」という「最終ゴール」に向けて,教師でない人間でもサポートすることができたので,たとえば子どもに向かって教えた経験が一度もない人にも,「受験問題」やそれと似たような問題をつくることができた。

 今,やっと「記述の問題を導入する」などという「超低レベル」の「受験問題改革」をしようとしているくらいだから,こうした「体制」は全く変わることなく,これからもしばらくは続いていくだろう。


 本当の改革とは,上級校の「目標」設定を自由として,その目標への達成度や達成への資質能力が高まった子どもを独自に選抜できる仕組みをつくることにある。

 上級校が,上級校入学への準備を志望者がばらばらに存在する各下級校在学中から行えるような仕組みをつくることである。


 今は,下級校の評価を土台として,上級校が選抜する仕組みになっているが,これを「逆」にするのが,本当の「教育改革」である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より