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被災者への『いじめ』をどう食い止めるか?

 被災者への『いじめ』はどうしたら食い止められるのか?

 子どもを担任の教師が守ってくれないばかりか,『いじめ』を助長するような言動を行ってしまうのをどうやったら食い止められるのか?

 ニュースで大きくとりあげられた後にテレビを見ていないので,続報が届いているのかどうかは知らないが,私が気になったのは,市の教育委員会関係者による記者会見での「笑み」である。

 すぐに担任教師への聞き取りが十分に行われていなかったことがわかった。

 『いじめ』の記者会見の場で,教育委員会の人間の顔に「笑み」が出たことに,だれも何も感じなかったのか?

 教育委員会が「すべきことをしていない」ことに,だれも気がつかなかったのか?

 市の教育委員会のレベルに期待してはいけないのだろうが,それでも記者は,教員たちの人事管理を担当する組織が機能していないという,その部分に「こそ」切り込むべきだったのだ。

 部外者の視聴者でも言えるような「予測」しか口にせず,「笑み」さえ浮かべていた教育委員会の人間に,矛先を向けることをしなかった記者には,記者としての資質・能力が欠けていたと言わざるを得ない。

 そこにいた記者たちは,担任の教師を悪者にしておけばそれでよい,という教育委員会の人間と同じ感覚しかなかったのだろうか?

 1億総無責任国家と呼ばれないようにするためにも,8万人を超える避難者を,せめて心の面で守るための強力な指導を教育委員会は行うべきだろう。

 阪神淡路大震災のとき,家族を失ったある中学生が私の勤務していた学校に転校してきたが,教師の心ない言葉で傷つき,また学校を去っていったという出来事があった。

 安全な避難場所など,この国にないのかと思わせてしまったことを悔いている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より