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大学の「教職課程」の意味の軽さ

 教員養成課程で免許取得に必要な科目の「履修漏れ」が発覚した大学がある。

 期間は10年間。

 今年の4年生は80人いるらしいが,単純に計算すると800人が未履修の状態で免許を取得したということだろうか。

 免許を取得した卒業生(現場の教師になっている者も含めて?)への補講を検討しているらしい。

 記事によれば,大学や文科省の見解として,「履修漏れ」があっても(補講を受ければ?)免許は取り消されないという。

 私の違和感の一つ目は,「履修漏れ」という言葉である。

 何だか学生の方が悪いような言葉の響きである。

 実際には,カリキュラム作成・運営上のミスではないのか?

 カリキュラム編成能力がない大学の認可取り消しという処分は下らないのか?

 違和感の二つ目は,授業内容に関することである。

 「地理学では特定の地域しか授業内容に盛り込まれていないなど,未履修の分野が生じていた」とあるが,

 そもそもすべての地域の地誌を履修しないと免許が取得できないという仕組みも知らなかった。
 
 私もそんな授業は受けた記憶がない。

 大学教員の専門の幅は非常に狭いので,「すべての地域の地誌」がカバーできる人など存在しないだろう。

 
 「履修漏れ」発覚の経緯の方を知りたい。

 「この地理の先生,南アメリカのこと,何も知らないみたい」という生徒から訴えが原因か?

 大学ごとの学生の学力を最もよく知りうるのは,採用試験を実施している都道府県教委である。

 「この大学の学生は,地理の点数がいつも低い」というのが,履修漏れがばれた原因か?


 大学に対して,文科省から一斉に調査がまわっていくだろう。

 同じような理由の「未履修」など,そこらじゅうでいくらでも見つかるはずである。

 実際の教師に聞き取り調査してみるという方法もある。

 
 最終的には,「大学での教職課程の学習にはほとんど意味がない」という結論に落ち着くことが考えられる。

 大学のHPには,「瑕疵の程度は軽度」とある。

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
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