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公立学校の期待を一身に受ける「中堅教諭」~教育公務員特例法等の一部を改正する法律とは

 同年代が少ない公立学校の30歳代,40歳代の教師たちには,将来への責任が重くのしかかっている。

 あと10年もたたないうちに,団塊の世代の教師たちがすべて現場からいなくなる。

 急激に教師の平均年齢が下がっていくだろう。

 ぼっーとしていると,自分より上の年齢の教師が現場からいつの間にか,いなくなっている。

 30代,40代の校長が当たり前のように現場にいるようになっていく。

 薄くなっている年齢層の教師たちは,ほとんど全員が管理職にならなければならないほど,年代別の教師の人数の歪みは著しい。

 11月28日に「教育公務員特例法等の一部を改正する法律」が公布された。

 教師たちにとって,非常に重要な法改正である。

 同日,文部科学省初等中等教育局長名での通知文が出されている。

 改正の趣旨を一言で表現すると,教師の資質を向上させるための研修をしっかりやれ,ということである。

 この改正により,10年経験者研修が廃止になり,中堅教諭等資質向上研修が創設される

 もう一つ,大事なことが義務づけられた。

 それは,「資質の向上に関する指標」と「それを踏まえた教員研修計画」を策定することである。 

 見逃してはならないのは,「教員の資質」だけではなく,「校長の資質」の向上に関する指標も策定しなければならないということである。

 現在でいう中堅教諭は,みんな管理職になることが前提になっていると考えてもよい。

 私は,校長になったときのために,教員のコンピテンシーモデルを作成し,すでに自分自身の自己申告でも活用していた。

 校長の評価のための資料ももっている。

 ただ,「資質の向上に関する指標」とは言えない。

 仕事がうまくいったりいかなかったりするのは,自分自身の資質によって左右されるというより,

 だれを相手にしているかでほぼ決まってくる。

 校長だったら教師たち。教師だったら同僚と子どもたち。

 もし,「資質の向上」が望めるとしたら,校長だったら,本当にやる気のない教師が多く,体罰やいじめが頻発しているような学校に赴任する方がよい。

 教師の資質を向上させ,いじめを根絶させることができたら,校長としての資質がすばらしいと評価されることになるからである。

 教師だったら,崩壊学級の担任になった方がよい。理由は校長とほぼ同じである。

 私も学校や生徒に本当に感謝しているが,

 こういう「資質の向上」を経験しないですむのであれば,それにこしたことはなかったとも言える。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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