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教科指導に「埋もれる」ことなかれ

 教師にとって,最後の逃げ場になるのが「教科指導」です。

 教科指導の場面では,子どもは絶対的に教師の言いなりにならざるを得ません。

 教師の権限は絶対です。基本的に,自分の「監督者」はそこにいません。

 授業が成立しないほどおしゃべりがやまず,やかましいままの状態が続いている場合でも,

 「教室空間に閉じ込めることに成功している」という点で評価されてしまうのが教科指導です。

 生活指導や部活動は,そもそも困難であることが前提だったりしますから,

 そう簡単には達成感なり充実感がもてません。

 教科指導の場合は,自己満足というかたちであれ,一応,自分がやった気になる,という点で,

 「かろうじて持つ」ことが可能な場になります。

 だからといって,「教科」の枠に閉じこもり,校内分掌や学級,学年経営に貢献しないというのは考えものです。

 学校では,教師に「教科指導」という最後の逃げ場があるために,「組織の一員」とは呼べない人が出てきてしまう職場です。

 もし,「教科指導」の場に監督者が常に数名いて,教師の資質能力が最も問われる場に変わったら,教育現場はどうなっていくでしょう。

 離職率が格段に高まってしまうかもしれません。

 1時間ごとに,徹底的なダメ出しをされる。教育実習ですら言われたことがない問題を指摘される。

 「逃げ場」が完全になくなっていく。

 しかし,教育という場に限らず,「逃げ道」を探すことにかけてはものすごい情熱を傾けられる人たちがいる。

 自分が生徒に「教えること」を放棄して,生徒が生徒に「教える」スタイルを教科指導でとるという「逃げ道」などは,人によってはとても魅力的に見えるでしょう。

 
 「無責任体質」が世の中をおおい始めている前兆ととらえることができます。

 「すべての人類を救う」ことをねらいに掲げたら,一人一人の人間が使えるものがどれだけ減っていくことでしょう。

 イデオロギーの亡霊をどうしたら退治できるのか。

 自分自身に向き合わない人との会話を成立させるにはどうしたらよいのか。

 検討中の大課題です。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より