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「学んだ気がする」だけの学習や「教えた気になっている」だけの教育をなくそう

 教育は,子どもに「学んだ気にさせる」程度ではダメなんですよね。

 実際に「学ばせる」ことが難しいために,安易に「学んだ気にさせる」教育が横行しています。

 たとえば,ドリル形式のワークをやらせて,同じようなテストをして点をとらせて,

 「学んだ気にさせる」こと。

 みんなで話し合い活動を長時間行って,わかったかどうかを確かめる時間がほとんどない授業。

 こういう方法しかやってこなかったから,学力調査のB問題が解けない子どもが増えてしまった。

 「学んだ成果」がやっとまともに問われる時代になってきたので,

 子どもにも,「学んだ気になっただけ」ではないですか?と教師の側から子どもに問えるようになりました。

 教師は,「しっかり学んだ」ことの証拠を集める必要があります。

 当たり前ですが,これが「評価の材料」です。


 「学んだ気にさせて満足する」教師よりもタチが悪いのが,「教えた気になっている」教師が陥る指導法です。

 よく,「黒板とチョークとおしゃべりだけの指導」が問題だ,という人がいますが,

 それは,「教える能力が低い」教師に限った話です。

 池上彰さんほど上手ではなくても,教師には「話して,見させて,わからせる」という最低限の能力が求められていますが,それが十分ではない人がいる。

 そういう人がICTに手を出してくれることは,逆に子どものためになる,という考え方もできますが,決してよい成果が出せるようになるとは限りません。

 指導力のない人がICTを扱うと,もっとひどいことになるケースがあるのです。

 電子黒板をこういう人が使って行う授業と,

 普通の黒板を指導力のある人が行う授業を比較できる映像でもあるとよくわかるのでしょうが。

 もし,ICT機器を使うから「教えた気になれる」教師がいたとしたら,管理職は授業観察を増やした方がよいと思います。

 あまりに悲惨な例を知っているのですが,さすがにここでは書くことができず,残念です。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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