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茂木健一郎さんによる「小学校算数に対する苦言」

 あるサイトで,茂木健一郎さんのツイートが紹介されていた。

 なぜか小学校教育の世界には,「算数科」とか「国語科」といった教科別の「ご専門」がいらっしゃる。

 「算数科」の「ご専門」が小学校教師をつくると,どういうことになるか。

 3+2=5は正解だが,2+3=5と書くと不正解になる。

 2.4+6.6=9は正解だが,2.4+6.6=9.0と書くと不正解になる。

 こうした小学校算数の奇習というか悪しき慣例が打破できないのはなぜだろうか。

 「数学者」ではない小学校の教師が,どこかで「算数教育の専門家」に化けて生息してしまっているからだろう。

 奇妙な正解を子どもに押しつける行為は,「子どもの精神に対する虐待」であり,許されない行為だと茂木さんは主張されているようだ。

 全く同感である。

 優秀な子どもたちは小学校算数など全く相手にする必要もなく,受験算数をひたすら学んで頭脳を磨いているのだろうが,公立中学校に進学してくる子どもたちの中には,本当に算数ができない子が多い。

 いったい何が原因でここまで算数の習熟度が低い子どもができてしまうのかも謎である。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より