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「主体的・対話的で深い学び」に対する「浅い理解」の批判を批判する

 「主体的・対話的で深い学び」という言葉が,報道や雑誌,研究発表の場でよく使われるようになったからか,教育現場でも「身構え」が始まっている。

 今回の教育改革は,高校の教育改革を全面的に進めていくためのものなので,小中にとっては「そんなこと,ずっと前からやってますよ」といったレベルのものになっている。

 地理総合や歴史総合,公共といった新しい動きまで視野に入っている小中の先生は,まだ少数派だろう。

 それでも何でも批判しないと気がすまない人たちから,そんなレベルの話をしても,だれも相手にしてくれないという文句もちらほら聞こえてきている。

 批判というのは怖いもので,自分自身の実践レベルがわかってしまうのだ。

 「対話=話し合い」だと思っている人がいるが,それでは「深い学び」には到達できない。

 ナントカ「的」という独特な言い回しは,ナントカとはイコールではないことをまずは念頭に入れておくべきである。

 以下は,ワーキンググループから5月に出された資料からの抜粋である。

***************

 【深い学び】

 習得・活用・探究の見通しの中で、教科等の特質に応じた見方や考え方を働かせて思考・判断・表現し、学習内容の深い理解につなげる「深い学び」が実現できているか。

 【対話的な学び】
 子供同士の協働、教師や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているか。

 【主体的な学び】
 学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しを持って粘り強く取組み、自らの学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」が実現できているか。

***************
 
 「深い学び」のキーワードは「見方・考え方」である。

 「deeper understanding」につなげられる思考が求められているのであり,教科等の特質に応じた「見方・考え方」をより重視した学習活動の展開が求められる。

 「対話的な学び」のキーワードは「協働,対話,先哲の考え方を手がかりにすること」「自らの考えを広げ深める」ことで,ここでも「考えを深める」という視点が求められている。

 「主体的な学び」で私が最も重要なキーワードとして考えているのは「振り返り」と「次につなげる」である。「キャリア形成」「見通し」「粘り強く」も重要なキーワードである。

 指導計画上,ただ教科書の配列に従って授業が進む,ということではなく,「このこととつながっている~を次に行おう」「ここで身につけた~を次につなげていこう」とする主体的な態度が子どもに求められる。

 場合によっては,カリキュラム編成を見直すことも必要になるだろう。それは,子どもの主体性がよりよく発揮できるようにするための配慮である。

 小学校の教師はうらやましい。独自のカリキュラムマネジメントを発揮することができる。

 学校の教育課程編成に,一人一人の教師がより積極的にかかわっていくことが求められていくだろう。

 後ろ向きの教師のせいで置いてきぼりにされ,ただひたすらドリルをやらされてしまうような子どもが増えないようにしたいものである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より