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日本は安全・安心な国ではなくなったのか

 ニュースで教員による犯罪が報道されると,「学校の先生は信用できない!」という印象が高まるが,実際に報道されている犯罪行為,違法行為はごくごく一部にすぎない。都道府県の教育委員会は処分を決定する立場にあるので,すべての事案を把握しているが,これをすべて報道するとなるとそれだけでニュース番組ができてしまうほどである。

 ここ最近,「通り魔」的な殺傷事件,高齢者や若者が通学途中の児童をはねる事件が相次いでいる。

 報道されていない事件もあるはずである。

 我が身や我が子が被害を受けることはまずないだろう,ととらえている人が多いだろうが,心配性の人は,以前に増して不審者や自動車への注意を心がけるようになっているに違いない。

 日本をヨイショする内容の番組はある程度の視聴率が狙えるだろうが,犯罪関係で「日本はこんなにひどい国だ」という印象を与える内容を報道する番組は,ほとんど放映されない。

 社会に対する不満をおさえ込む方法はたくさんある。

 ただ,「おさえ込まれる」ことによってためられたエネルギーは,どこかで爆発するときがくる。

 どこかの国と違って,日本には「あの国のせいだ」と不満の目をそらすための相手がいない。

 どのようにして「ガス抜き」をはかればいいのか。

 刑事ドラマをどんどん流して,「悪が倒れる」ことによる「すっきり感」「爽快感」を残していけばいいのか。

 企業を題材にしたドラマでは,いやな上司や権力側をぎゃふんと言わせていればそれでいいのか。

 もうその段階ではないと思われる。

 どうしたら教師の犯罪行為から我が子の身を防ぐことができるのか。

 どうしたら日常生活の場で,命の危険から身を守ることができるのか。

 リスクをコントロールできる能力をしっかりと身に付けるための教育が求められていくに違いない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より