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教師の人柄は教え子に伝染する

 昨日まで,弘前で開かれていた学会に参加していた。

 自分の発表はないので,今回は「人間観察」に徹することにした。

 大学の先生が教え子を引き連れて遠路やってくる姿は微笑ましい。
 
 よく見ると,教え子の大学生(大学院生?)のふるまいが先生そっくりだったりする。

 大学名を見ずに発表を聴きながら,もしかしたら○○先生のところの?と思ってプログラムを見たら,当たっていたという人もいた。先生は発表時間が短く終わってしまったことを気にされていたが,内容はすばらしく,質疑応答も活発だったし,「学びたい」「ご意見をうかがいたい」という思いがストレートに伝わってきたので,やさしい参加者が大勢答えていた。指導にあたられた大学の先生も,とても謙虚な方である。

 一方で,私のイメージではとても古いタイプの,やたらと偉そうにしている先生もいるが,その教え子もまるでコピーのように態度がでかかった。何体も同じようなコピーがあるわけではないと思われるが,行政にいた立場からすると,「こういうのはまず面接で落とされるな」と直感してしまう。

 電車の中でいっしょになった大学生の話にも耳を傾けていた。

 教育実習の感想をもらしているところだったが,何でも,自分は部活をやっていなかったと・・・。大学で運動部にいた人の指導を間近で見たのだろうか。自分には,顧問はできそうにないと・・・。土日が潰れるのもやだ。

 はい,はい。中学校の先生には向きません。大学に残って研究を続けて下さい。

 何て言うのは気の毒だから,「そういう中学校もあるけど,そうでもない中学校もある。運を天に任せてみたら」と言ってあげたくなった。

 私の専門の野球の顧問になれたのは,教員になって7年目だった。

 教科と違い,部活動の顧問は「空き」がないとできない。

 「空き」がでたときに,なり手がいないと若い人に押しつけられる。

 たいへんだ・・・。

 採用試験に合格したらの話だけど。

 
 ふと,思った。自分はだれに似て(しまって)いるのだろう,と。

 大きな影響を与えてくれた先生は小学校中学年の年配の男性教師である。

 次は小学校低学年のやはり年配の女性教師。

 中学校や高校の先生は,複数になるが,それぞれのとても好きな部分が自分の中で生きている気がする。

 大学の先生は,みんなやさしかった。

 野球部基準で卒論を認めてくれたことに感謝している。


 こんなこと言うと怒られるかもしれないが,教員養成系の大学の学生は,みんな「同じ」に見えてくる。

 大学の先生が一律の「てあつい」指導をしているからだろうか。

 画一化された製品をつくるのは効率がよい。

 ただ,すべてが在庫のまま終わる可能性もある。

 そこまで熱を入れないで勝手にがんばるタイプの人間が教師には最も向いている。

 人材はほかでいくらでも確保できる気がするのだが・・・。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より