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口のきき方を知らない大学院生

 私の知る範囲内の話だが,教育関係の大学院生の評判がすこぶる悪い。

 一部には,「大学入試は厳しいが大学院にはだれでも入れる」という声もあるらしいが,それだけが理由ではないだろう。

 以前にも書いた通り,研究会での「口のきき方」を知らない大学院生が増えているのだが,その理由は簡単で,指導に当たっている大学教員とそっくりになってしまっているのである。

 傍若無人な態度こそが,大学という世界ではとても重要な資質・能力なのかもしれないが,自分の大学から一歩外に出てしまうと,大学内と同じことが通じるところはこの世に存在しないことを知っておいてほしい。

 紙に書かれてあることを平気で質問してくるのはまだ許せる。

 直前に話していたことを聞いていなかったのが丸わかりの質問,

 いつもどこかで同じようなことを繰り返し話していることがわかる的はずれの質問・・・

 こういうのも,まだぎりぎり許してあげられる範囲である。

 しかし・・・。

 何もわかっていない大学院生が,

 「私はあなたよりも,このことについては詳しくわかっているのですよ」という態度を現場の教師にしている間だけは,アドレナリンが大量放出されてしまう。

 私はこういうのを黙らせることができる質問をたくさんもっているが,公衆の面前で直撃させることは滅多にない。それを炸裂させたのは,先日の学会くらいだっただろう。

 何も言えなくなるのなら,発表などしなくてよい。

 大学生よりも,大学院生は,自己満足のかたまりに見える。

 礼儀を失い,社会性を失い,実社会での有用性を失わせる大学院の成果は,

 日本の場合,「垂直的な学歴の軽視」に直結している。

 「マスター」やら「ドクター」やらと,・・・聞いて呆れる。

 現場で役に立っている姿こそが目にしたいものである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
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    「楽毅」第二巻より