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« 気づかれないことのつらさ | トップページ | 教科独自の「見方・考え方」を働かせて「深い学び」を実現させようという考え方自体が,「教科」にこだわり,タコツボ型大学教師たちの既得権益を守ろうとする,硬直的で一面的な「見方・考え方」しかできないことを示している »

「教師にとって生徒とうまく人間関係をつくっていけるような人柄が大事」と思っている若い先生に向けて

 人間関係構築力は,教師にとって最も重要な能力であることは確かである。

 しかし,「人間関係」にかかわる能力は,「個人」の資質や能力だけで決まるものではない。

 「個人」がどのような「個人」と長い時間かかわっているかが,その能力の伸び縮みに大きな影響を与えている。

 他の学校の先生の悪口ばかりを言っている教員の近くに長くいれば,自分も似たような教員になっていく。

 小言ばかりを子どもに投げかける教員が担任だと,子どももやがて小言ばかりを口にするようになっていく。

 子どもの声を聞かない教員が担任だと,やがて子どもも担任の言葉を心で受け止めようとしなくなっていく。

 よい教師になろうとしたら,よい教師と一緒に長い時間過ごすべきである。

 できたら,その教師のよい面が発揮できている場面で一緒にいるべきである。

 そして,子どもにも同じように接するべきである。

 子どもの悪い面が出たときの「生活指導」のときだけ接近するのではなく,

 一人一人の子どもの良い面が出ているときに近くにいるべきである。

 別に,話しかけなくてもよい。余計な口をはさまなくてよい。邪魔をしない。

 先生に「見守られている」という安心感を子どもが持てるようになっていくと,子どもに自信がついてくる。

 いちいち教師の助言を求めたり,顔色をうかがっていて,そこで先生が出て行ってしまうと,子どもは成長できない。

 小学校の教師が自校の先生ではなく,専門性の高い教師のところに出張していって授業を参観したり,協議会のあとの飲み会に参加することは,そういう意味では大切なことである。

 中学校という職場では,なかなか外に出かけていけないが,学年のメンバーなど,いつも一緒にいる教師がたくさんいる。そこに「これは」という先生がいると,自分もいいところがたくさん吸収できるはずである。

 
 優れた教師は,優れた子どもと優れた教師によってつくられるものである。

 大学の教職課程で養成できる範囲は限られている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より