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« 「観点融合型評価」とは何か? | トップページ | J教育大学附属学校の存在意義のなさ »

「観点融合型評価」を標準的なものにすると,どのような波及効果が得られるか?

 客観的な正しさなど合理的な説明がつく評価にすらなっていなかった観点別評価である。
 
 イノベーションが求められる社会では,そもそも万人が認めるような指標で評価されるような力だけで人間を判断してはならない。

 これからの社会を生きる人間に必要な能力,そういう人間を育てる環境とは何か。

 『電気製鋼 第86巻2号』に掲載されている杉本諭さんの随想『今,問われる,失敗できる力とできる環境』から,一部を引用させていただく。

>「失敗」を成功に導くような研究イノベーションは,湧き出る興味から知識と経験に基づく鋭い直観力と洞察力,さらには研究を継続できる気概と耐力をもち,一つの現象に対しても複数の評価指標をもった研究者によって生まれると私は信じる。同時に,研究者の多様性と自主性を重んじ,融合が図れるような組織としての「環境」も大切と感じる。

 直観力とは何か。

>「直観力」と言うと,突然,神の啓示のようにふってくるものと勘違いしてしまいがちであるが,直観は「何かが違う」ことに気づく「経験」と「知識」があって初めて働く。これが,一つの指標にとらわれず,多くの指標を用いて一つの現象をとらえることができる力,まさに田中耕一氏が言われる「失敗」を「成功」につなげる力である「洞察力」の原点と思える。

 学校教育の中核的な目標が「直観力」の育成にあるわけではない。

 しかし,せめて「単一の指標で評価しない」こと,せめて「複数の指標を組み合わせて評価する」ことを実現することで,「新たな評価の視点」も生まれてくることが期待できる。

 私は社会科で第5の評価の観点として「発想力」「アイデア力」を定めていたが,こういう観点が評価できる指導を心がけてきた。

 評価が抜本的に変われば,指導が変わる。

 指導が抜本的に変わらないと,21世紀型能力を身に付けさせることはできない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より