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「校長がいればよかった」という単純な話ではない

 校長は出張が多い。現場に実際にいる最高責任者は,副校長や教頭であることが多い。

 何かの重大な事件・事故が起こったとき,校長と連絡がとれない,という事態は避けなければならないが,

 災害などで「電話やSNSがつながらない」というケースは考えられる。

 
 また,校長は学校の最高責任者だといっても,最近は,問題のレベルが高くなるとすべて教育委員会に指示をあおいでからしか行動できない校長も増えている。

 校長にとっては「自衛策」「安全策」ともとれるが,見方を変えれば「自分で責任をとりたくないのだ」ととられる。

 校長がいても,結局「教育委員会の指示待ち」になってしまえば,いないのと同じことになる。


 現場を知らない人間は,自分の都合のよい解釈しかできないし,

 事実と異なることを自分の解釈の根拠として示してしまう欠点がある。

 
 校長は一般の教員よりも地域の人々との結びつきが強く,わかりやすく言えば入学式や卒業式に出席する来賓席の前の方の人の意見を取り入れやすいことも知っておくべきだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より