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ドクハラとティーハラ

 ドクハラという言葉があることは知らなかった。

 病院によくかかる高齢者の方々の間では,一般的なのだろうか。

 週刊朝日の12月2日号に,医者の「いじめ」に負けないための対処・予防法が紹介されていた。

 私が今までお世話になった医師からは,「いじめ」を受けた経験がないので,よくわからない。

 私に限った話ではないかもしれないが,教師とは違って,医師は自然と敬意を払ってしまう存在である。

 教師は子どもと戯れていれば給料がもらえてしまうが,医師はほぼ病を抱えた人「だけ」を対象とした仕事をしている。
 
 普通学校では種類の異なる「病」に犯されている子どもがたくさんいて,その影響もあってか,かなりの数の教師が精神疾患を抱えるようになっているが,医師の世界でそれほど精神疾患が多いとは聞いたことがない。

 いつも病院にかかっている医師は想像しにくい。

 そういう医師が,患者を「いじめる」とはどういうことか・・・?

 記事を読んで私が感じたのは,「ああ,これは間違いなく,医師よりも教師にあてはまっている話だな・・・」ということだった。

 教師によるハラスメント,いじめにあたる言葉はまだ誕生していないのだろうか。

 中身はパワハラ,セクハラ,モラハラ,何でもあてはまってしまう。

 ドクターハラスメントがあるなら,ティーチャーハラスメントという言葉があってもよい。

 モンスターティーチャーのハラスメントを縮めてモンティーハラでもいい。

 ところが,残念なことに,「言いにくい短縮形」では,新語にならない。

 教師を表わす英語が「ティーチャー」だったことで,救われてしまうのか・・・。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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