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「観点別評価」ではなく,「観点融合型評価」の実施へ

 先日,ある社会科の授業を参観された先生から,唖然とするような実態をお聞きする機会があった。

 授業の流れは,次のようなものである。

 教科書を読む。

 課題が与えられる。

 グループで話し合い,答えを書く。

 先生は,どのグループもすばらしい文章で答えがまとめられていたので,すごいと思ったそうだが,よく読むとみんな同じ答えだったそうだ。

 なぜか。

 どのグループも,教科書の文章を丸写ししていた。

 ・・・・これは,断じて社会科の授業ではない。

 地図を用いない地理の授業はない,というのがその先生の主張だが,問題はそれどころではない。

 国語の授業も似たようなことが行われている気がした。

 なぜグループになるかというと,おそらく「みんなで答えを探した方が,全員が探し終わるのが早くなる」からだろう。

 これが『学び合い』の「実践本」で読んだ授業のレベルである。

 社会科の教師には,何の専門性も求められていない。

 教科書があれば,だれでもできる授業である。

 
 こういう授業が行われている背景には,とにかく「全員ができなければならない」とか「毎時間,評価をつけなければならない」「計画通りに授業を進めなければならない」というプレッシャーがあるからだろう。

 その評価も,「観点別」に行うことで,かろうじて,「おおむね満足」を全員にあげられるという程度のものである。

 「観点別評価」というのは,学力の要素をばらばらにして,あたかも別々のものとして評価できるような錯覚に陥らせた仕組みである。

 学力の要素はばらばらなものではなく,互いに密接に結びついている。

 だから,「観点別」に評価しようとすると,「この穴埋めができているんだから,知識があると判断できる」などという「知識・理解」のイメージが成立してしまうのだが,そんな知識の中には,授業が終わって何時間か何日間か何週間かたてば,みんな忘れてしまうようなレベルのものがたくさん混じっている。

 「観点融合型評価」を実施する,ということになれば,学習指導自体が「本当の学力」をつけるためのものになり,上記の授業スタイルなど成立しないことが明らかになる。 

 一日も早く,「観点融合型評価」が標準的になる日が来ることを望む。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より