私が猛烈に荒れた学校に異動したときのことを,ときどき思い起こしている。
教師たちは,荒れの中心にいた十数人の生徒たちに対してなぜか優しかった。
「優しい」という表現よりも,「甘やかしている」と言った方が適切である。
あとで「どう対処したらいいかわからなかった。攻撃の対象にはなりたくなかった」という本音が聞き出せたが,要するに教師たちが子どもの荒れを助長していたのである。
なぜ「荒れていない子どもたち」は,授業がスムーズに進行できないなど,自分にとって不利益だったことに我慢していたのか。
普通の人は,「自分がいじめの対象にならないように,おとなしくしていた」と思うだろうが,
けっしてそうではなかった。
生徒同士のいじめは皆無に近かった。気の弱い子どもはいじられることはあっても,決して「いじめ」にはなっていなかった。ほとんど1つの小学校から進学してくる,実質的には小中一貫校であったことも「いじめ」が少ない背景かもしれない。
当時の教師たちは,「私たちがこの子たちに優しくしているおかげで,いじめがないんですよ」と思っていたのかも知れない。
しかし,「優しくする」ことと,「わがままを許す」ことは同じではないはずである。
教師たちは,荒れた子どもたちの職員室への勝手な出入りも黙認していた。
職員室の隅には,以前にたばこを吸うためのスペースだったらしい教師の休憩場所のような所があった。
日常的に喫煙している子どもたちを,こういう場所に近寄らせる神経は,私がタバコを吸わないからかもしれないが,信じられなかった。
荒れた生徒たちは,機嫌がよいとこのソファを占拠してじゃれ合い,冷たい視線を浴びていると感じたときにはガンを飛ばしたりしていた。
異動してすぐに,「進路関係の書類が増えている時期になり,機密の内容の重要書類があるので,職員室への無用の出入りを禁止し,入室の際は必ず要件を言って対象の先生を呼ぶこと」というごくごく当たり前の常識を生徒に認めさせることにした。
子どもたちにとっては,「自由が制限された」というストレスになり,荒れが拡大したことを覚えている。
私が異動する以前のこの学校の状況は,いわゆる「抱え込み型」の生活指導が基本であった。
(その後,「徹底的な排除型」の学校も増えていき,これに対しては私は反対だったが,なぜか学校というところは両極端に近づきやすいところである。)
とにかく校内で好き勝手やらせておく。
そのかわり,外では悪さをさせない。
要するに,大多数の子どもの学ぶ権利を奪っておいて,少数の子どもを「見捨てない」ことを優先していたのである。
別に私は功利主義者ではないが,少数の子どもを「見捨てない」ために,大多数の子どもを「見捨てる」教育には反対だった。
しかし,生活指導でエネルギーを消耗しきった教師たちに,「堂々と立ち向いましょう」とは言いにくかった。
職員室の近くにある教室で騒ぎがあったときも,駆けつけたのは自分一人だった,ということもあった。
こういう状況は,男性教諭4人の「団結式」のあとはなくなったが,子どもを大人にするためのエネルギーは,並大抵のものではない。
荒れた生徒は授業を抜け出しているので,空き時間の教師は基本的に抜け出した生徒を探したり,話し相手になるしかなかった。
子どもの学力といえば,
国語・数学・英語の3教科が崩壊していた。
高校進学の話がまともにできない状況にあった。
だから,社会科の教師である私が,異動したての3年学年主任という立場で「学力向上事業」に乗り出したのである。
まずは事前に努力しておけば,だれでも100点がとれるような小テストから始める。
都立入試でいえば,数学の最初の計算問題や国語の漢字の読み書きレベルの問題から始める。
授業を抜け出している生徒の中には,もともと勉強がそれなりにできる子どもが大勢混じっている。
(卒業して何年かたって,「早稲田の政経にいます」と報告してくれたエスケープボーイもいた。)「
しかし,「一人も見捨てない」という信念をもって,「授業を抜け出す子どもに付き合う」という選択肢をとっていた。
子どもは,友情を大切にするものである。
まじめに授業なんか出やがって,自分よりも頭が悪いくせに・・・と思っていたクラスの仲間が,どんどん「満点賞」をとっていく。
「満点がとれるということは,他の問題が出てもいくらでも正解する可能性があるのだから素晴らしい」
「90点だったということは,他の問題が出たらやはり間違えた可能性があるからだめだ」
という言葉が通じるテストを繰り返していくと,満点を続けてとる子どもが増えて,少しずつ学習にやりがいを感じてくる。
この段階になって初めて,「授業を抜け出すのはやめてほしい」「授業の邪魔をしないでほしい」という声が子どもたちから出るようになってきた。
いきなり「あの子たちをどうにかしてくれ」と教師が子どもに頼むのはよくない。
子どもたちが教師に「あの子たちをどうにかしてくれ」と言えないくらい,教師の力量への信頼を失っているときは特に。




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