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できるだけ「隠して」おきたいボランティア活動

 若いときは,自腹をきってさかんに現地調査を行い,それを教材化して,社会科の授業に臨んでいました。

 何とか研究会とか自治体の研修会の「巡検」に参加したこともありましたが,やはり自分が興味をもったことを,自分の計画で,自分の都合のよい時間に調査した方がいろいろと効率も内容もよいものになります。

 「巡検」は,どちらかというと「人間関係づくり」の方を優先したいときに参加するものでしょう。

 ボランティア活動の内容も教材にしたことがあるのですが,ついこれをある研究会で紹介したら,知り合いになった先生たちが「そういうことをしている教師」として他の先生たちに広めてしまいました。

 社会科の教師だから,ボランティア活動とは言っても,動機は純粋なボランティア精神ではなく,

 やはり「教材にしたい」という意欲に基づく活動になってしまいます。

 厳密に言えば,ボランティアに紛れ込んだ取材活動,調査活動といった方がよいかもしれません。

 もちろん,体験してみてわかる意外なことがたくさんあり,「五感」が大切なことに気づかされたりもします。

 「ご飯がとてもおいしく食べられる」とか,何か心に残ることがあるから,ボランティア活動・・・いえ,調査活動が続けられるものです。

 教師という職業では,なかなかまとまった休日がとれません。

 夏休みはちょっと体力的にきつくなりますし,本当の「隙間時間」しか使えなくなります。

 ただ,そっと行ってそっと帰ってきた方が,何だかしっくりくるようになってきました。

 教師生活が長くなると,教材を「眠らせる」こともできるようになりました。

 「休眠中」の教材の多くは,すでにいくつもの冬を越して,おとなしくファイルの中に収まっています。

 何でもかんでも公開したり,本で出版しないと気がすまない人たちとは,ちょっとスタンスが異なるかもしれませんが,生徒に対して使うことがなくなれば,自分の子どもに託して処分してもらうことになるのでしょう。

 いつか社会人になった子どもと行ってみたい場所がいくつかあります。

 そういう場所をもう少し増やしてみたいと考えています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より