ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「チョーク&トーク」と「チョーク&バトル」 | トップページ | 一番大変な「クラス」をさらに深刻な状況に追い込む方法 »

コンテンツ・ベースかコンピテンシー・ベースか

 以前にもご紹介したかもしれませんが,世界の教育改革の潮流は,

 コンテンツ・ベースからコンピテンシー・ベースへの転換です。

 日本の場合,「学習内容は削減しない」ことを前文科大臣が公言してしまったので,

 その両方を・・・というより,コンピテンシーを向上させて,コンテンツへの理解を深めるという「欲張り」目標が設定されてしまいました。

 そのためには,アクティブ・ラーニングを導入しなければ・・・という話になっているのですが,

 一見してアクティブ・ラーニングっぽい学習というのは,コンテンツの質と量が低く「浅い」ことしかしていないから,40人いる教室でもできるわけで,中学校や高校だと,生半可なことでは「深い理解」などさせられないわけです。

 アクティブ・ラーニングの要素として最も重要な「主体的な学習であること」についてですが,

 「教えあって協力してやりない」という指示も実は全く生徒の主体性を無視したもので,

 「先生,あなたがもっと詳しく教えて下さい」というのも子どもの願望に基づく主体的な要求であると言えます。

 重要な情報,必要な情報をしっかりと目で見て,耳で聞いて,書きながら理解する,

 こうした態度を「受け身」としか捉えられず,「主体的に聞く行為」ととらえられない人がいい加減な「理論」で子どもを教育すると,

 人の話を聞かない,メモしない,自分がやりたいことだけしかできない,そういう人間が育っていくのです。

 

 教科書に書いてあるレベルのことが理解できて,はい,その先は・・・・

 というところで,はじめて子どもの主体性が発揮できるアクティブ・ラーニングが始まるのです。

 大学レベルで言えば,教師がある分野への興味関心をかき立ててくれて,

 はい,あとは自分で本を読んで勉強し,優れたレポートが出せれば出席しなくても単位をくれた昔のスタイルが最も主体性を重んじた教育スタイルだったわけです。

 ゼミのスタイルもそれに近いですが,テーマが限られてしまうと学生の本当の意味での「主体性」は発揮できません。人数が少ないので「協働的」な活動にはなるのでしょうが,能力が高くないと「深い学習」まではいかないおそれがあります。

 ある中学校の総合的な学習の時間の発表会の映像が手元にありますが,ゼミで浅い学習しかできていないゲストの大学生が驚いていましたね。

 テーマごとの担当の先生に引率され,さまざまな「専門家」のところにいって聞き取り調査した結果から自分たちの考えをまとめ,練りに練ってから発表していたので,ネットでちょこまかとまとめたようなレポートとは全く質が違います。

 まずは総合的な学習の時間の学習がアクティブ・ラーニングになっていなければお話にならないでしょう。

 気をつけなければならないのは,コンテンツの充実なくして,学習をした達成感は得られにくいものです。

 「深い学習」を可能にするコンピテンシーの研究と,コンテンツの質との相関関係をはかるような研究が必要になってくるのでしょう。 

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

« 「チョーク&トーク」と「チョーク&バトル」 | トップページ | 一番大変な「クラス」をさらに深刻な状況に追い込む方法 »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

グローバル人材」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

アクティブ・ラーニング」カテゴリの記事

教員採用試験」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: コンテンツ・ベースかコンピテンシー・ベースか:

« 「チョーク&トーク」と「チョーク&バトル」 | トップページ | 一番大変な「クラス」をさらに深刻な状況に追い込む方法 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より